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【動画】驚異の耐久性…170年使われ続ける排水施設 奈良・郡山城から常滑焼の土管

郡山城から出土した「土樋」=10日、奈良県大和郡山市(須谷友郁撮影)
郡山城から出土した「土樋」=10日、奈良県大和郡山市(須谷友郁撮影)

 奈良県大和郡山市の郡山城を囲う外堀(そとぼり)の土塁(どるい)から、「土樋(どひ)」と呼ばれる常滑(とこなめ)焼の土管を継ぎ合わせた排水施設が出土し、同市が発表した。江戸時代後期に敷設され、現在まで約170年にわたって使われ続けてきたといい、担当者は「現代の水道管と比べても驚異的な耐久性だ」と驚いている。

 出土したのは、直径19~14センチの土樋を連ねた形で、長さ計15メートルと計18メートルの2本からなる。道路工事に伴う発掘調査で出土。土塁と外堀は江戸前期に築造されたことも判明した。

 土樋は、郡山城の城下町の一角「鍛冶町(かじまち)」の生活排水を外堀に流すため、土塁に細い溝を掘って埋設されたと考えられる。明治時代以降も使われ、平成6年に下水道が整備されてからは、雨水を流し、浸水を防ぐ役割を果たしてきた。

 接合部分には漏水防止の漆喰(しっくい)が施されており、調査した市都市計画課文化財保存活用係の山川均主任は「郡山藩の土木技術や製作技術の優秀さを物語る」と話している。

 とこなめ陶の森資料館(愛知県常滑市)の小栗(おぐり)康寛・学芸員は「土樋が機能している状態で見つかるのは驚きで貴重。江戸期の常滑焼の土樋が関西以西で見つかった例はこれまでなく、流通の実態を知る上でも興味深い」としている。

 常滑焼は、愛知県の知多半島で生産される日本六古窯(ろくこよう)の一つ。江戸後期に常滑焼の土樋が登場、明治時代に主力製品となった。大和郡山市は現地説明会を15日午後1時~3時に行う。問い合わせは同市(0743・53・1151)。

郡山城 天正8(1580)年に入城した筒井順慶(じゅんけい)の時代から約20年かけて完成したとされる。この間、明智光秀らが普請(ふしん)に関わり、豊臣秀吉の弟、秀長らが城主となった。柳沢吉里が江戸時代中期に郡山藩主となって以降は代々柳沢氏が治めてきた。

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