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【話の肖像画】女優・大地真央(64)(3)異色の道…火が付いた「宝塚愛」

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女優の大地真央さん(萩原悠久人撮影)
女優の大地真央さん(萩原悠久人撮影)

 《大地真央の芸名は家族と考えた。「大地」は姉がつけてくれ、「真央」は自分で。父が大地を踏みしめ真っすぐに進む、との意味を込めた》

 淡路島で野性児のようにのびのびと育ってきたので、2年間の宝塚音楽学校時代はよく怒られました。苦手なピアノの授業をサボるため、指に包帯を巻いて“突き指”とすることもしょっちゅう。年齢も同期で一番下でしたし、かわいがってもらいました。

 宝塚について何も知らないまま、音楽学校入学後、宝塚大劇場3階席から初めて見た豪華な舞台に、感激しました。でも独特の舞台化粧ですし、3階席からだと先輩方の見分けが全くつかない。宝塚観劇中の予科生(音楽学校1年生)は、微動だにしてはいけない決まりがあるのに、同期に「あの人、どなた?」と何度も聞いて顰蹙(ひんしゅく)を買いました。

 《初舞台は昭和48年。恒例のラインダンスでは、同じ衣装で並んで踊る同期生の中でも、目立っていたという逸話が残る》

 (ラインダンスについて)後から劇団に、「あの下手(しもて)から7番目の子は誰?」という、私に関する問い合わせが何件も来たと聞きました。例えば、おばあちゃまの代から宝塚の大ファンだった子が憧れの舞台に立つと、緊張でガチガチになってしまいがちです。でも私は、ただ舞台に立てるのがうれしくて楽しくて、ニコニコ笑っていたんだと思います。淡路島の野山や海で、遊びまわっていた子供のまま、天真爛漫(らんまん)に踊る笑顔がよかったらしいです。

 《入団後も、下級生(若手)時代から異色の道をたどる。入団3年目には、宝塚に籍を置いたまま、アイドル歌手デビューまで果たした》

 19歳のときです。当時の宝塚はまだ「ベルサイユのばら」が大ヒットする前で、世間の認知度も低く、外の世界に打って出ようと試行錯誤していた時期でした。私のマネジャーについた人も、前日まで(劇団の経営母体である)阪急電鉄で切符を切っていた人で、突然、芸能界の仕事に異動させられて、困り果てていました。

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