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【ビブリオエッセー】未知にして懐かしい 「霧のむこうに住みたい」須賀敦子(河出文庫)

 イタリア文学者で随筆家の須賀さんはパリ大学へ留学中の1954年、夏休みにイタリア中部の町、ペルージャの大学でイタリア語を学び、滞在中、北辺の山あいの町、ノルチャへのバス旅行に参加した。この本と同じ表題のエッセーに、こんな描写がある。

 急なくねくね坂をバスは登り、夏とは思えない冷たい風が肌を刺す中、人里離れた峠にたたずむ立ち飲みカフェ兼雑貨屋に休憩で立ち寄った。そこでは寡黙な羊飼いの男たちが黙ってワインを飲んでいた。

 カフェを離れ、車ヘ戻る途中で振り返ると、カフェはこまかい雨と流れる霧の中にぽつんと残されていた。

 「自分が死んだとき、こんな景色のなかにひとり立ってるかもしれない。ふと、そんな気がした。そこで待っていると、だれかが迎えに来てくれる」「途中、立ち寄っただけの、霧の流れる峠は忘れられない」

 この素敵な文章は須賀さんならではだ。読者はそのカフェに行ったわけではない。ただ文章からは須賀さん自身、あるいはあたかも読者の自分がこまかい雨と流れる霧の中にぽつんと残されているように感じてしまう。評論家で編集者の湯川豊さんは須賀作品の魅力を、未知であるけれど懐かしい世界と書いている。「未知にして懐かしい」。これは須賀さんのエッセーを読み解くキーセンテンスかもしれない。

 こまかい雨と流れる霧の中に41歳で世を去った夫のペッピーノがたたずみ、ずっと後に69歳で旅立った須賀さんが加わったのだろう。

 最近、批評家の若松英輔さんが『霧の彼方 須賀敦子』を刊行した。あとがきに「須賀敦子は、彼女のいう『霧』の彼方で『生きて』いる」という箇所を読み、少し嬉しくなった。

 鹿児島市 玉利啓介 63

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