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【話の肖像画】静岡大教授で文化人類学者・楊海英(55)(18) 梅棹さんに圧倒される

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国立民族学博物館の当時の館長、石毛直道氏(左)、初代館長、梅棹忠夫氏(右)と =1998年ごろ
国立民族学博物館の当時の館長、石毛直道氏(左)、初代館長、梅棹忠夫氏(右)と =1998年ごろ

 《本格的に文化人類学を学ぶため、大阪にある国立民族学博物館総合研究大学院大学を受験する》

 別府大学に中野幡能(はたよし)さんという宗教学の教授がおられました。大分県にある宇佐神宮の研究で知られ、東京大学助手や大分県立芸術短期大教授を歴任した神道研究者です。この中野先生が東大時代、学徒出陣で中国戦線に送られて捕虜となった。終戦のとき、当時の総統、蒋介石は日本軍の捕虜を無条件で解放したことを中野先生はすごく恩に感じておられ、共産党の中国は嫌っていましたが、中国への思いは強い方でした。中野先生の授業を聴講し、授業以外でも話をさせていただくようになりました。

 その中野先生は私の今後について、「国立民族学博物館(民博)に総合研究大学院大学ができた。キミはそこを受けなさい」と勧めてくれたんです。さらに「民博の初代館長、梅棹忠夫さんを知っているか」と聞かれたので、「北京で『文明の生態史観』を読みました」と答えました。こうしたやりとりもあり、民博総合研究大学院大学博士課程を受験し、1990年4月に入学しました。私は2期生になります。

 《入学してすぐ、梅棹氏を表敬する機会を得た。この「新京都学派」の大御所に、初対面から圧倒されることになる》

 梅棹さんは私のあいさつを受けるなり、「ワシは今でもモンゴル文字で名前を書けるぞ」と話してくれました。そして横にあったノートを手に取って、モンゴル文字でさらさらと「ウメサオタダオ」と書きあげてしまった。モンゴル文字は日本文字とはまったくルーツが異なる、ウイグル文字やチベット文字、アラビア文字などと同じ系統です。日本人にとって難解極まりないこのモンゴル文字を、70歳近くになっても覚えているとは驚きでした。梅棹さんのフィールドワークは一体、どれほど徹底しているんだ、と思いましたね。

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