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【島を歩く 日本を見る】金とトキと、美しき大地 佐渡島(新潟県佐渡市) 小林希 

佐渡トキ保護センターのテラスより島内を望む。佐渡市の公式サイト「さど観光ナビ」によると、島の人口は約5万6000人(平成30年3月末時点)
佐渡トキ保護センターのテラスより島内を望む。佐渡市の公式サイト「さど観光ナビ」によると、島の人口は約5万6000人(平成30年3月末時点)
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 新潟市の新潟港から佐渡汽船のジェットフォイルに乗って67分、日本海に浮かぶ佐渡島(さどがしま)に着く。択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、沖縄本島に次ぐ面積を誇り、いにしえより「日本から独立しても自立できる」と語られるほど、自己完結が可能な島である。

 まず、豊沃(ほうよく)な大地に広がる稲田からは、うま味のある米が豊富に収穫できる。季節の野菜や果実もたわわに実り、海の恵みもつつがなく享受できるのだ。そうした地場力が人の暮らしを支え、独自の文化や伝統行事などが発展してきた。

 しかし、長い歴史の遷移(せんい)を語るうえで最大の基軸となるのは、佐渡金山だと思う。古い記録によれば、平安時代から島で金鉱脈が発見されていたそうだが、本格的に採掘が始まったのは、1601年に3人の山師によって開山されたと伝えられる相川(あいかわ)の金山だ。

 佐渡島は日本最大の金の生産地となり、江戸時代には佐渡奉行所で小判が製造され、国際貿易にも大きな影響を与えた。明治時代には西洋式技術や機械が導入され、金の生産量は飛躍的に増加して、日本の近代化へ大いなる貢献を果たしている。そのころの近代的なコンクリートの鉱山遺跡群は今も相川に点在している。

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 相川の金山坑道跡を歩いた。手掘りで採掘していた江戸時代と機械化が始まった明治時代では、坑道の様子に変化がある。時空を遡(さかのぼ)るかのように、脈々と続く時間の流れを肌で感じる。同時に、富や夢の象徴とも言える金の生産に、地下深く、狭く、仄(ほの)暗い過酷な場所で多くの炭鉱員が従事していたという舞台裏も心に刻みたい。

 島内では平成元年に閉山されるまで、388年間にわたって採掘が続き、坑道は総距離約400キロの規模にも及ぶ。

 それから島をめぐった。赤いくちばし、ほのかにピンク色の羽を広げたトキが、美しい棚田に舞い降りる。「かつて当たり前だった光景ですよ」と島の人は言う。少しずつトキの数は増えているそうだ。

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