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硫黄島に散った父を想う 埼玉県志木市・福居一夫さん(79) 県護国神社で「みたま祭」

硫黄島で戦死した父を悼んで手を合わせる福居一夫さん=15日午後、さいたま市大宮区の埼玉県護国神社(竹之内秀介撮影)
硫黄島で戦死した父を悼んで手を合わせる福居一夫さん=15日午後、さいたま市大宮区の埼玉県護国神社(竹之内秀介撮影)
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 75回目の終戦の日を迎えた15日、埼玉県出身の戦没者5万1180柱が祭られている同県護国神社(さいたま市大宮区)で「みたま祭」が営まれ、遺族らが先の戦争で亡くなった人たちを追悼した。

 例年は100人以上が参拝しているが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大状況を踏まえ、参加者を県遺族連合会の役員ら約10人に絞って開催した。境内では、戦没者に黙祷(もくとう)をささげる参拝者の姿も見受けられた。

 連合会によると、4~11月に県内で予定されていた23の戦没者追悼式典のうち9つが感染拡大の影響で中止になった。護国神社奉賛会の関根則之会長(89)は「終戦の日は国のために戦った先人に感謝する貴重な機会だ。新型コロナウイルスで大変な状況ではあるが、今年も無事に終えることができてよかった」と話した。

「お父ちゃん、来たよ」

 埼玉県護国神社で15日に営まれた「みたま祭」に参加した福居一夫さん(79)=同県志木市=は、物心がつく前に戦死した父を思って静かに目を閉じた。

 昭和19年1月、現在の東京都台東区で理髪店を営んでいた父の房次郎さん=当時(32)=は、2歳だった福居さんらを残して出征し、硫黄島で1年後に命を落とした。

 戦争の脅威は幼い福居さんらにも降りかかった。家は空襲で焼け、一家は母の志ささんの実家があった埼玉県へ引っ越すことになる。大黒柱を失ったため家計は苦しく、志ささんが裁縫で稼ぐかたわら、小学生になった福居さんも食事などの家事を担って懸命に家庭を支えた。

 その後、福居さんは36歳で志木市に文房具店を開き、子宝にも恵まれた。

 県遺族連合会の理事だった平成25年、遺骨収集のために初めて硫黄島を訪れた。

 気温50度を超える塹壕(ざんごう)の内部。土を掘ると次々に骨が出てきた。「この骨は父かもしれない…」。そう思いながら丁寧に拾っていった。

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