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【話の肖像画】セブン&アイHD名誉顧問・鈴木敏文(87)(9)コンビニ展開へ奮闘

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日本でのセブン-イレブンの事業展開に関するサウスランドとの調印式にて(左から2人目) =昭和48年11月
日本でのセブン-イレブンの事業展開に関するサウスランドとの調印式にて(左から2人目) =昭和48年11月

 《イトーヨーカ堂の伊藤雅俊社長ら経営陣の了解を取り付け、アメリカのコンビニエンスストア「セブン-イレブン」の国内展開を目指し、運営するサウスランドとの交渉に入った。初接触は昭和47年で、翌年にはサウスランド経営陣にプレゼンテーションを行った。同社の日本市場の調査後、6月から日本展開に向けた提携交渉が始まった》

 サウスランドからの最初の提示は、事業は合弁会社が行い、国内展開は東日本のみ、出店数は8年間で2千店というものだった。彼らは最初、日本に出店する気はなかった。米国に多数のコンビニがあるからね。それに、日本全体で展開する力はイトーヨーカ堂にはないだろう、と思っていたようだ。だから、「イトーヨーカ堂がやるなら東日本だけに限る。西日本は、分からないけれどダイエーさんに」とか、思っていたんでしょう。だけど僕は全国でやりたい、出店も8年で1200店を主張した。ヨーカ堂の独自子会社で展開することも含め、ここは粘って認めてもらった。

 《難航したのはロイヤルティー(権利利用料)の比率だった》

 この頃のサウスランドは、セブン-イレブンの米国内のフランチャイズ(FC)店に対して、売上高の1%のロイヤルティーを取っていた。われわれに対する条件も、米国と同じ売上高の1%というもので、それは高すぎると考えていた。というのも、日本の小売業は当時、売上高の2~3%が最終利益で、イトーヨーカ堂の税引き前利益は売上高の3・8%。そんな状況で1%を払うというのでは事業が成立しない。僕は0・5%を主張した。

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