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【話の肖像画】セブン&アイHD名誉顧問・鈴木敏文(87)(8)

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昭和40年代後半に米国で展開していた「セブン|イレブン」
昭和40年代後半に米国で展開していた「セブン|イレブン」

■コンビニとの出合い

 《昭和46年、取締役に就任。スーパー出店予定地の地元説明会に出向くようになる》

 商店街はスーパーが出てくると存続できなくなると猛反対する。地元選出の国会議員が出てきたこともあった。スーパーが出店した地域では商店街のお店が倒産している、自分たちは被害者だという言い分で、対立はひどかった。

 僕は倒産する商店街のお店を見ていて、時代がこれだけ変化しているのに、全く変わらずに旧態依然としている。消費者の嗜好(しこう)は変わっているのに、時代の変化に対応した小型店になっていないからじゃないかと思っていた。

 《総合スーパーという業態そのものは米国の大型スーパーを手本にしたもので、スーパー各社は米国視察を頻繁に行っていた》

 当時のダイエーも西友も分かりやすく言えば、海外スーパーのまねだよ。だからみんな視察に行って研修していた。

 われわれも海外研修に行った、僕が引き連れてね。アメリカ西海岸のサンフランシスコやロサンゼルスをバスでまわって、途中に大型スーパーがあると見学する。米国とかヨーロッパは研修で何十回も行ったよ。

 《米国での研修中、移動休憩で道路わきの小型店に立ち寄った。数字の「7」に「ELEVEn」の文字を重ねた、見慣れない看板のお店だった》

 スーパーを小型にした、食品や雑貨が並んでいる店だった。米国には大型ショッピングセンターがあって、スーパーがあって、小型店、個人商店があった。共存していたんだ。

 《米国のこの小型店は「コンビニエンスストア」と呼ばれ、セブン-イレブンが全米4千店のチェーン網を持っていると帰国後に知る。商店街の商店の生産性の低さに疑問を持っていたこともあり、このコンビニエンスストアという形態を日本へ持ち込むことを提案した》

 日本の商店街では小売店は金物屋とか、菓子屋という「何屋さん」と言っていたが、そういう時代ではない、と自然に考えた。小型店は小型店として生きる道があって、共存できる形にしなきゃいけないと。

 《店舗営業の経験がない自身の提案に対し、社内は反対の嵐。オーナー社長の伊藤雅俊氏も同じだった》

 日本は、ダイエーの中内(功)さん、西友の堤(清二)さん、そしてうちのオーナー(伊藤氏)も、小型店の時代は終わったという考えだった。しかし、僕はなんでみんな反対するんだろうと思っていた。(商店街が衰弱していて)困っているのに。僕は役員(取締役)だったけれど一社員だから、オーナーには「大型店と小型店の共存ができないことはない。大型店だけで全てをまかなうことはできませんよ。米国も欧州もそうでしょう? 日本だってそうなりますよ」と話した。かっこよく言えば、熱意を持って説得したということかな。(聞き手 日野稚子)

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