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「奇跡の贈り物」旧日本兵の日章旗、75年ぶりに故郷に

返還された「寄せ書き日の丸」を持つ続光世さん。記憶のない父を思い返す「奇跡の贈り物」と感慨深げだ=富士市中之郷(松本恵司撮影)
返還された「寄せ書き日の丸」を持つ続光世さん。記憶のない父を思い返す「奇跡の贈り物」と感慨深げだ=富士市中之郷(松本恵司撮影)

 昭和20年の終戦からすでに75年。平成を経て令和の時代となり、昭和の記憶も薄れゆく中、先の大戦で戦死した静岡県富士市の続邦夫さんの「寄せ書き日の丸」が今年4月、同市在住の長女、続光世さん(78)に返還され、故郷に75年ぶりに戻った。当時2歳で父の記憶はなく、遺骨も残っていない光世さんにとっては、まさに「奇跡の贈り物」となった。(松本恵司)

 雑貨などを扱う商店を営んでいた邦夫さんは昭和19年5月に召集され、出征した。一家6人で撮った写真の裏書きに「昭和拾九年五月廿一日」の日付が残る。邦夫さんは目が悪く、それまで召集されず、これが初の出征になった。

 名古屋の陸軍部隊に配属され、光世さんは母親らと面会に行った記憶がかすかにあるという。台湾に派遣されたが、その後の任地は不明。すると20年3月に戦死の公報が届いた。19年末から20年初めにかけて、激戦地だったフィリピンで戦死したとみられている。31歳だった。遺骨も遺品もなかった。

 そして75年の歳月が過ぎた今年3月、県遺族会から邦夫さんの「寄せ書き日の丸」に関する問い合わせが光世さんのもとに来た。写真を送ってもらい、知人の名前を見つけて父のものと確認すると、返還を求めた。横90センチ、縦65センチの日の丸は今年4月25日に郵便で届いた。「武運長久」の文字や寄せ書きした友人ら数十人の名前が確認できる。

 その一方で、戦闘の激しさを物語るように、血痕や泥と思われるシミだけでなく、銃痕とみられる穴が複数空いていた。辛抱強く、文句を言うことのなかった母からは父の思い出や人柄について聞いた記憶はなかった。それだけに、光世さんは日の丸を手にすると「私をよく見つけてくれたと思います。75年ぶりに父に会ったという感じです」と話す。

 寄せ書き日の丸は、米アイダホ州のデービッド・シェイファーさんが保管していた。54年前に亡くなった父親が戦利品として持ち帰ったものだという。日の丸とともに添えられていたシェイファーさんの手紙には、父が亡くなった当時は14歳で、父から戦争体験や日の丸について聞いたことがなかった。ただ、母から聞いた話として、父が夜中に叫び声を上げ、激しく動揺して目を覚ますことが絶えずあったとつづられていた。

 シェイファーさんは「正当な所有者へ返還されるべき」とし、戦没者の遺品を遺族に無償で返還する活動に取り組む米NPО法人「OBON(オボン)ソサエティー」(米オレゴン州)に返還依頼したのが契機となった。

 同法人によると、欧米では敵軍の「旗」を戦利品として納めることが大変名誉なこととされた。持ち帰った兵士は大きな手柄を立てたと称賛され、名誉勲章を授与されることも多かった。寄せ書き日の丸は一番人気が高かった。

 光世さんはシェイファーさんの手紙の内容だけでなく、日の丸の返還に先立って花を贈ってくれた「心遣いに感激した」。米法人の関係者から「花をくださる方はなかなかいないと聞いた。『心を込めて』というメッセージも添えられており、その優しさがうれしかった」と語る。

 「私が亡くなったら棺おけに一緒に入れてくれればいい。私と一緒にあの世に行けば。父の思い出は私と一緒」と柔和な表情を浮かべた。

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