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【ビブリオエッセー】純粋で切なすぎる愛の物語 「花のいのち」立原正秋(新潮文庫)

 通っていた大学が近鉄奈良線の沿線だったこともあり、午後から休講になったときなどは奈良の寺々を巡り歩くのが楽しみだった。興福寺の阿修羅像、中宮寺の菩薩半跏像、そして秋篠寺の伎芸天像など奈良には有名な仏様がたくさんおられる。そのころの私は美しく雅やかな仏様に心を慰められていた。

 奈良を舞台にしたこの小説を読んだのは三十年ほど前のこと。主人公、窈子(ようこ)と美術史家、織部周二との純粋で切なすぎる愛の物語である。歌人の娘、窈子は夫の不義がもとで離婚してまもなく、織部と運命的に出会う。織部もまた、妻と死別して独り身だった。

 織部は自ら描いた秋篠寺の伎芸天像の墨絵を窈子に渡す。その裏には中唐の詩人、耿●(=さんずいに偉のつくり)(こうい)が孤独の憂いを詠んだ「秋日」という五言絶句がしたためてあった。窈子はそれが伎芸天に託した愛の告白だと知る。織部は知識や教養を「通りぬけてきた顔」をしていて、「だまってそばにいてくれるだけで、こちらの気持が落ちついてくる」、そんな男だった。

 いま読み返していると、会話の中の「窈子」がいつしか「私」になっていく。織部周二その人と喋っているような錯覚すら感じる。きっと私の理想の男性像だったのだろう。立原の小説に夢中だったころを思い出す。

 しかし、愛に包まれた日々は長く続かない。花のいのちを思う。この小説は単に哀切の物語ではなく、新しい生命を宿し、強く生きていく一人の女性の「いのち」の物語である。

 二人が伎芸天像に出合うシーンは美しく、中宮寺や当麻寺など大和の古寺、古仏が印象深く記されていた。最後に、テレビドラマで織部を演じていた今は亡き渡瀬恒彦さんの、穏やかな笑顔が懐かしい。

 大阪府八尾市 さくら桃 66

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