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【話の肖像画】作家・阿刀田高(85)(4)療養所生活で見た人生模様

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大学時代には結核のため、療養生活を送った(阿刀田さん提供)
大学時代には結核のため、療養生活を送った(阿刀田さん提供)

 《早稲田大学に進学し、フランス文学を学んだ。ところが2年生のときに肺結核と診断され、療養生活を送ることになる》

 埼玉県浦和市(現さいたま市)の療養所に入りました。肺結核ということで、これから生きていくのが大変だなと落ち込みました。主治医からは手術を提案されましたが、父が亡くなっていたこともあって治療費がなく、受けませんでした。ずいぶん兄や姉、結核予防会の援助に助けられました。

 最初、入院は3カ月といわれていました。3カ月が過ぎてまたレントゲンを撮影すると、医師は「良くなっていますね、化学療法が効いていますね」と言う。これは退院できるぞ、と思うと「もう3カ月」。それを繰り返して療養生活は1年半にもなった。

 入院中は友達もたまに見舞いに来てくれました。優秀な人が多くて、将来の夢を語る様子に置いていかれたような気持ちでした。彼らは学生という立場から1を2に、2を3にしようとしている。彼らに比べると自分は結核の症状を改善したとしても、マイナス2がマイナス1になっただけ。それが現実なんだと悟りました。人生に大きな希望を持ったらいけない、6~7割満足できればいいと思うようになったんです。

 《大学にも通えず、ひたすらベッドの上で過ごした。有り余る時間を読書に費やしたのが、作家としての大きな財産となった》

 体は元気だし、ほかにやることもないから、1日中本を読んでいました。自宅に帰れる日には古本屋に行ったり、友達に頼んで本を買ってきてもらったり。モーパッサン、サマセット・モーム、チェーホフ…。外国文学を学んでいるんだから、という気持ちがあったためか、カタカナの下に「短編集」と書いてある文庫本は、手に入るものはあらかた読んだ気がします。

 療養所ではたくさんの人に出会いました。9人部屋でしたが、商売人もいれば、農家の人、県庁の役人もいました。何をやっているのかよく分からない人もいましたね。重症者は別室なので、元気な人が集まっているわけで、ずっと話をしている。後に小説を書くことになったときに、少し役に立ったかもしれません。

 いろんな人がいましたが、やはり病気だから弱気になってしまう人もいる。若い人でも、生活保護とか、親戚の店の手伝いに雇ってもらおうとか、消極的な生き方を考えてしまう人が多かった。自分は世の中にぶら下がるのではなく、自分の道で生きていこうと決めました。

 《療養生活を終え、2年間遅れて大学に戻った》

 大学に入学したころは、フランス語が上手になって新聞記者になるのが夢だったんです。ただ、当時はまだ肺結核は大病でした。新聞社は文系学生のあこがれの的でしたから、入社するのは絶対に無理だと考えて、出版社を受けたんです。でも結局、最終面接で落とされてしまいました。

 大学を卒業しても行くところがなかったから、文部省図書館職員養成所に進みました。大学を卒業していると1年コースだし、就職率がいいと聞いたんです。卒業後、国立国会図書館に採用されて、司書として働くことになりました。作家になろうなんて考えたこともなく、図書館員で一生を過ごし、老後はのどかに暮らすつもりでした。(聞き手 油原聡子)

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