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【話の肖像画】作家・阿刀田高(85)(2)原点は幼少期の「言葉遊び」

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阿刀田高さん(三尾郁恵撮影)
阿刀田高さん(三尾郁恵撮影)

 《昭和10年、東京都杉並区に誕生。兄1人姉3人の後に生まれた双子の兄だった》

 同時に生まれた弟は、私が引いた風邪がうつり、1歳になる前に亡くなってしまいました。物心つく前だったので、弟のことは覚えていないんです。

 あの頃はそこそこの生活をしていたので、弟の月命日には、お坊さんがお経をあげてくれました。母の膝の上で、「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」という光明真言(こうみょうしんごん)の有名な文句をさんざん聞きました。5、6歳のころには覚えてしまったんでしょうね、「兄にやが死んだら腹這(ば)いたや」と聞こえておかしくてたまらなかった。言葉に興味を持つきっかけだったのかもしれません。

 《作家生活を支えたのが豊富な読書経験だ。幼いころから本が好きだったが、その原点は言葉遊びだったという》

 読書をするようになった理由をよく尋ねられますが、子供のころのことはよく分からない。本が好きになったきっかけとなったサムシングがあるはず、と考えて「これかな」と思い当たるのが家族で言葉遊びをしていたことです。たとえば、「き」が頭につく地名や人名、動物名、食べ物を広告の裏に書く。1つ書くと10点もらえるんですが、2人で同じのを書くと5点になる。3人だと3点。だから、できるだけ特別な言葉を書こうと考えていました。この遊びに参加したみんなが私と同じような道を歩んだわけではないので、言葉に関心を持つ資質を持って生まれてきたんでしょうね。

 《鋳物の技術者だった父親は鉄工所を経営。東京のほかに、新潟県長岡市にも家があった。母に連れられ、東京と長岡を行き来する生活だった》

 体も小さく、弱虫で引っ込み思案な、典型的ないじめられっ子で、学校に上がるまで友達もいませんでした。戦争が激しくなり、小学4年になって長岡に疎開したんですが、そこでも「東京から来た」ということでいじめられました。

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