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【書評】『じんかん』今村翔吾著 「人間」に生きた久秀の心情

 織田信長が、松永久秀を徳川家康に紹介した際の逸話はあまりにも有名だ。

 「この老人は世人にできないことを三つやった。将軍(足利義輝)を弑(しい)し、主君の三好長慶を殺し、奈良の大仏殿を焼いた」

 武将らの逸話集『常山紀談(じょうざんきだん)』が描く久秀像には違和感を覚えていた。続きはこうなのだ。

 「松永汗をながして赤面せり」。老境の大悪人が、いまさら前非を恥じて赤面するだろうか。千利休の師である武野紹鴎(じょうおう)の高弟で茶の湯の名人であり、「九十九髪茄子(つくもなす)」の茶入や「平蜘蛛(ひらぐも)」の茶釜という名物を愛し、安土城の手本となった芸術性高い多聞山城を築いた男…そんな高雅な印象とも重ならない。

 今村翔吾は本作で、ほとんどわかっていない久秀の前半生を丁寧に考察することにより、その謎を解き明かしてくれる。

 悲惨な少年期を過ごした久秀は人の世に疑いを抱き、神仏の存在も信じられなくなる。しかし、阿波の武将、三好元長との出会いが久秀に大いなる理想を与え、彼の人生を激しく変える。元長が謳(うた)う夢と理想はどこか青臭さを感じさせる半面、あまりにも魅力的に過ぎる。

 久秀は実弟の長頼や、後に重臣となった者たちにも理想を説く。大名たちの食い物となっていた商都・堺の自治を確立するために力を合わせて戦い始める。若き日の久秀らの姿は、梁山泊(りょうざんぱく)に集(つど)った『水滸伝』の豪傑たちを思わせて実に楽しい。

 個として存在するときに「人間」という文字は「にんげん」と読むが、人と人がつながりを得れば「じんかん」と変わる。人が何のために生きるのかを求めて、久秀は「じんかん」を生き続け、仲間とともに戦う。

 だが、大物(だいもつ)崩れの戦いで捕らえた管領、細川高国が語る善悪観は、彼らの理想を根底から覆しかねない怖さを持っていた。久秀のすべてであった元長は、奇しくも「善」に敗れるのだ。

 信長は二度叛(そむ)いた久秀を許そうとする。使者に立つのは、信長から久秀の実像を学んだ小姓の狩野又九郎だった。狂言回しの役割を担う又九郎に、久秀は「じんかん」に生きた最後の心情を語る。冒頭で提示された謎が、きれいにほどける終章にはうなるしかなかった。今村翔吾、実に恐ろしい作家である。(講談社・1900円+税)

 評・鳴神響一(作家)

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