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【ビブリオエッセー】歩き続ける男と少年のまなざし 『ゾマーさんのこと』パトリック・ジュースキント著 池内紀訳(文藝春秋)

 思わず見入ってしまうサンペの美しい挿絵に惹かれ、手に取った本だった。

 木の上で空想することが好きな主人公の少年は、村では誰も素性を知らない「ゾマーさん」という男性を毎日のように見かける。ゾマーさんは早朝から夜中まで、ひたすらあてもなく歩き続ける有名人だ。しゃべることを忘れたように無口で、人を避けて生きている。数年後、妻に先立たれたゾマーさんは突然姿を消し、人々の記憶からも消えていく。

 少年はゾマーさんの最期の姿を偶然目撃していた。しかし、誰にも話さない。「ほっといてもらいましょう!」。ゾマーさんが発したこの一言の重みについて考え続ける。

 不思議な読後感であり、誰もが少年やゾマーさんになり得るということの意味を問われているようだ。生き方を尊重し、他者の苦悩に寄り添う重要性を語っているようで、固定観念で各人の安息の場ははかれないということも示している。少年とゾマーさんには直接的な関わりはなく少年の視点で物語は進む。そんな一方通行とも言える関係性において、図らずもゾマーさんは生きづらさを感じていた少年を救い、少年はゾマーさんの唯一の理解者となる。

 私たちはただ生きているだけで見ず知らずの人生に影響を与え、逆に知らない誰かに見守られているのかもしれない。人の数だけ人生が交錯する中で目に見えないつながりや思いは存在する。何かに追われるように歩き続けたゾマーさんが少年の記憶に生き続けたように。

 ゾマーさんの一言に込められた魂の叫び、ゾマーさんが見てきたものについて私はまだ答えを見つけられずにいる。もし自分が「少年」だったら、果たしてどうしただろうか、と。

奈良県三郷町 ボブとマロン46

 【ビブリオ・エッセー募集要項】本に関するエッセーを募集しています。応募作品のなかから、産経新聞スタッフが選定し、月~土曜日の夕刊1面に掲載しています。どうか「あなたの一冊」を教えてください。

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