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【話の肖像画】柔道男子日本代表監督・井上康生(42)(11) 「北京五輪」断たれ引退

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北京五輪代表争いの最終選考となる全日本選手権は準々決勝で敗れ、引退を決意した =平成20年4月、東京・日本武道館
北京五輪代表争いの最終選考となる全日本選手権は準々決勝で敗れ、引退を決意した =平成20年4月、東京・日本武道館

 《右大胸筋腱(けん)断裂の大けがを乗り越え、平成18年の講道館杯で復活優勝を遂げた。再び北京五輪代表を目指す道がスタートした》

 畳に戻れたときは本当にうれしかったですね。基本練習の打ち込みを少し始めただけでしたが、やっと戻ってこられた、ここまでこられたと。しかし、当初はけがをした内股が怖くて打てませんでした。体を開くことへの恐怖心が拭えない“心の後遺症”に苦しめられました。そんな自分に嫌気が差し、「自分の柔道で内股を打てなかったら終わりだ。また腱が切れたら引退すればいい」と腹をくくって克服しました。勇気をもって一歩を踏み出す大切さに改めて気づかされました。

 試合勘を取り戻すため、大学生との練習試合から始めました。たくさんの大学生が見ている中、篠原(信一)さんが監督をされていた天理大の学生に相手をしてもらったときは、いきなり投げられて、学生たちも驚いていました。私もすごい緊張感の中で必死でした。恥をかいても逃げてはいけない経験でした。

 《しかし、19年の世界選手権、20年のフランス国際ともに優勝できず、北京五輪代表は大きく遠のいた。いずれも敗れたのは後に100キロ超級で五輪2連覇、世界選手権8連覇を果たす若き日のテディ・リネール(フランス)だった》

 フィジカル、体の大きさ、バランスがすごくいい選手ですね。当時は組んだときもやりづらさはありましたが、いけるなという感じではありました。フランス国際はリネールに負けたというよりも、国際大会で結果を残せなかったことで、北京はないなと感じた瞬間が印象に残っています。

 東京五輪の代表選考では、2月のパリ、デュッセルドルフでの2つのグランドスラム(国際大会)が早期内定の対象でした。1番手も2番手も選手は置かれている立場が分かりますからね。結果を残した者、残せなかった者も同じことを感じていたと思いますよ。私も負けたとき、北京五輪代表を争っていた石井(慧)、棟田(康幸)の存在が頭をよぎりました。

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