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【正論7月号】ユダヤ難民と北海道を救った陸軍中将 樋口季一郎の遺訓と改憲論 ノンフィクション作家 早坂隆

第五方面軍司令官として北海道防衛の策を練る樋口季一郎中将(樋口隆一氏提供)
第五方面軍司令官として北海道防衛の策を練る樋口季一郎中将(樋口隆一氏提供)

 ※この記事は、月刊「正論7月号」から転載しました。ご購入はこちらへ

未発表原稿の公開

 大東亜戦争下における「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば、杉原千畝の名前が思い浮かぶであろう。リトアニア駐在の外交官だった杉原は、ナチスの迫害から逃れてきた約六千人のユダヤ難民に対して特別ビザを発給。その功績は「命のビザ」として広く語り継がれている。

 しかし、実は救出劇はもう一つ存在した。その指導的役割を担ったのが、樋口季一郎という陸軍軍人である。

 さらに樋口は「占守島の戦い」でも昭和史に名を残す。昭和二十年八月十七日、ソ連軍は終戦後であるにもかかわらず、千島列島最北端に位置する占守島への侵攻を開始したが、第五方面軍司令官であった樋口は「自衛戦争」として徹底抗戦を命令。ソ連軍の南下を見事に阻止した。スターリン率いるソ連軍の目的は北海道の北半分の占領であったが、その野望をくじいたことになる。

 そんな多大な功績を残した樋口であったが、戦後、彼の存在は昭和史の中に埋もれた。それは外交官であった杉原に対し、樋口が陸軍軍人であったことと深く関係するであろう。戦後の日本は、それが史実であったとしても、軍人の功績を公に語れるような社会ではなかった。十年前に私が樋口の評伝を刊行した時、その知名度はゼロに等しかった。

 しかし昨今、樋口に関心を寄せる人が着実に増えつつある。昭和史を冷静に客観視できる土壌が定着してきた証左であろう。

 そんな中でこのたび『陸軍中将 樋口季一郎の遺訓』(勉誠出版。以下、『遺訓集』)という一冊の大書が刊行された。編著者は樋口のお孫さんにあたる樋口隆一氏である。隆一氏は音楽家、指揮者としても著名で、明治学院大学の名誉教授でもある。

 この『遺訓集』には、戦後に樋口が書き残した未発表の原稿が数多く収録されている。その中には、昭和史の実像を理解する上で極めて貴重な記述が少なくない。本稿ではそれら新事実を踏まえながら、樋口の生涯について改めて綴っていきたい。

ロシア問題のエキスパート

 樋口は明治二十一年八月二十日、淡路島の阿万村で生まれた。島内の三原尋常高等小学校から兵庫県下篠山町の鳳鳴義塾(現・兵庫県立篠山鳳鳴高等学校)へと進んだ樋口は、大阪陸軍地方幼年学校に入学。その後、東京の中央幼年学校を経て陸軍士官学校に進学した。同期生には石原莞爾がおり、二人は終生にわたる友となった。樋口は成績優秀であったが、特にドイツ語やロシア語といった語学が得意だった。その後、陸軍大学校へと進み、ロシア問題を扱う専門家として研鑽を積んだ。

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