【島を歩く 日本を見る】小林希 国の近代化 石で支えた 北木島(岡山県笠岡市)

島の基幹産業は一般的に、農業や漁業などそれぞれで異なるが、時代の変移によって衰退し、観光業など他の産業へ転進、模索している島がいくつもある。かつて石材産業で栄え、日本近代化の礎を築いた北(きた)木(ぎ)島も変革の時を迎えている。
岡山県の笠岡港から旅客船で約1時間。穏やかな瀬戸内海に浮かぶ北木島は、海岸沿いにいくつもの丁場跡がある。そこで採石された巨大な花崗岩(かこうがん)の「北木石」は、石切り船に載せられて遠隔地へと運ばれていた。
北木石は、江戸時代には大阪城の石垣など近代城郭に、明治から昭和にかけては靖国神社の大鳥居や日本銀行本店の西洋建築といった歴史的重要文化財に使われ、島の暮らしを支えてきた。
当時を知る元石工のおじいさんいわく、「みんな、石を中心に生きていたよ」。島民の9割が石材産業に就き、海岸線にはトラクターが往来し、島中から採石する音が聞こえてにぎやかだったそうだ。
ピーク時には127あった丁場も、中国などの輸入石材に追いやられ、現在、稼働しているのは「鶴田石材」「花本石材」のみ。ただ、地元の努力が功を奏し、令和元年に「日本の建築文化を支え続ける石の島」として日本遺産に認定された。それを機に、鶴田石材は観光活性化に火を灯(とも)すべく「石切の渓谷展望台」への案内を始めた。日中の時間限定ではあるが、見下ろせる丁場は絶景だ。