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【話の肖像画】柔道男子日本代表監督・井上康生(42)(5) 「初の世界王者」に兄の存在

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平成11年の世界選手権では母の名入りの黒帯で快進撃。兄のサポートもあり、決勝で韓国の選手(左)を下し、頂点に立った
平成11年の世界選手権では母の名入りの黒帯で快進撃。兄のサポートもあり、決勝で韓国の選手(左)を下し、頂点に立った

 《母、かず子さんの死を乗り越え、平成11年10月、英国バーミンガムで行われた世界選手権へ挑む。このとき、現地で練習パートナーを務めてくれたのが兄の智和さんだった》

 兄は宮崎日大高から明治大へ進み、私も同じタイミングで東海大相模高へ進学しました。親元を離れてからは仲良くなっていきましたが、中学までは柔道において、私の高い壁でした。兄もインターハイで2位になるなどトップレベルの選手でしたからね。

 兄は明大の厳しい環境の中で1、2年のときはスランプで勝てない時期が続いていましたが、3年の後半からは上り調子でした。9年6月に開催された全日本学生体重別選手権では、4年生だった兄が95キロ級のチャンピオンになり、私は95キロ超級で優勝しました。その年の講道館杯は階級が変更されて100キロ級になり、兄と同じ階級で戦うことになりました。

 初めて兄と対戦したのは、私が大学2年で兄が社会人になった10年4月の全日本選抜体重別選手権でした。下馬評は私のほうが高かったんです。兄はとても優しい人で、小さいときはけんかもしましたが大好きで尊敬もしていました。そんな兄との勝負に複雑な心境になってしまい、勝負に徹する準備がないまま畳に立ってしまいました。いざ礼をして試合が始まると、兄は対照的に襲い掛かるように前にでて、私は何もできずに試合時間が終わって負けました。

 《兄に学んだことは大きかった》

 兄から勝負の厳しさを見せつけられた試合でした。そこからは絶対に兄に対しても隙を見せずに戦おうと決めました。次に試合で戦うのはシドニー五輪の翌年でしたが、もう負けませんでした。11年の世界選手権は、そんな兄が練習パートナーとして同行してくれました。初出場の私にとっては、精神的にとても心強かったです。もちろん、技術的にもコンディションの面でも兄のサポートが必要だったので、私がお願いしました。兄も世界を目指していたので引き受けることに葛藤があったと思います。逆の立場ならサポートできるかな、と思いますからね。でも、兄は引き受けて、サポートに徹してくれました。翌年のシドニー五輪のときもそうですが、兄の存在があってこその結果だったと感謝しています。

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