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【話の肖像画】柔道男子日本代表監督・井上康生(42)(4)母の悲報 心に刻んだ「初心」

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最愛の母、かず子さんと
最愛の母、かず子さんと

 《平成11年6月。東海大3年だった21歳のとき、最愛の母、かず子さんがくも膜下出血で他界した。51歳だった》

 人生で最悪の出来事でした。朝、トレーニングをして大学の寮に戻ったら、携帯電話に兄から何件も着信が残っていました。折り返したら、泣いて何を言っているか分からないくらい動転していました。父に電話をしたら「母が亡くなった」と。告げられた瞬間は、絶望でした。大学の中西英敏監督に報告したら、「すぐに宮崎に帰れ」と言われました。家に着くと、いつでも起きてくるんじゃないかという感じで横になった母が永眠していました。

 亡くなる数日前に電話で話したのが最後になりました。11年は国際大会で苦戦が続いたり、4月の全日本選抜体重別選手権や全日本選手権でも一本負けを喫したりと、スランプの時期でした。具体的には覚えていないのですが、「頑張りなさいよ」とか「常に上を向いて歩いていかないとだめだよ」と言ってくれていました。

 《いつも優しく見守ってくれた母。高校3年のときに見せた厳しい一面が今も印象に残っている》

 私は3兄弟の一番下だったこともあり、とても甘えん坊で、幼少期はずっと母の横にべったりくっついている子供でした。母はとにかく優しい人でした。ところが、高校3年のインターハイの神奈川県予選の決勝で判定負けしたときは違いました。私は「判定なら勝っているんじゃないか」という気持ちから終盤の攻めを躊躇(ちゅうちょ)してしまっていました。林田和孝監督からも「審判にげたを預けるような試合はするな」と言われていたのに、自分の弱さが出てしまった。表彰式の間も悔し涙が止まりませんでした。母は私の試合はいつもビデオカメラに収めるため、小さいころから応援に駆けつけてくれていました。このときも会場にいた母は観客席から降りてきて、私から2位の賞状を取り上げて目の前でビリビリに破ったんですよ。「あなたに2番は似合わない。チャンピオンになるんだから、次に向けて頑張りなさい」。柔道経験のない母ですが、負けて落ち込む私に、前を向くことを伝えるためにあのような行動を取ったんだと思います。

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