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【本郷和人の日本史ナナメ読み】漱石の「お騒がせ」弟子

平塚らいてう(国立国会図書館蔵)
平塚らいてう(国立国会図書館蔵)

■森田草平と信玄の意外な縁

 森田草平(1881~1949年)という作家をご存じでしょうか。お恥ずかしい話ですが、ぼくはこの方の小説を読んだことがありません。だいたい、名前はてっきり草平なんだと思っていたら、これは夏目金之助の漱石や森林太郎の鴎外と同じく、雅号なのですね。彼の本名は米松。それにしても号というのは、もっとこう、いかめしいものです。草平はいってみればペンネームの先駆けなのかもしれません。

 草平さん、正直なところ、簡単な文学史では名前をお見かけしません。彼が後世に名を残したのは2つのことに由来します。1つ、夏目漱石の弟子であり、愛されていた。よく「漱石にもっとも迷惑をかけた男」と称されます。もう1つが明治41(1908)年に起こした、平塚らいてうとの心中未遂事件です。

 草平は現在の岐阜市の生まれ。金沢の第四高等学校に入学しますが、恋人との同棲(どうせい)が露見し、その親が学校に訴えたため退学処分を受けました。その後上京して第一高等学校、東京帝国大学英文科で学びます。38年の秋に千駄木の夏目漱石宅を訪れ、漱石の門下となりました。

 大学卒業後は格別な職に就かず、漱石の紹介で中学の英語教師などをしていましたが、やがて与謝野鉄幹が主宰する女子学生向けの文学講座「閨秀(けいしゅう)文学会」で講師を務めることになりました。草平は女性関係でいろいろと問題を起こしていましたが、鉄幹といえば、その道の大先達です。気が合ったのかもしれません。そしてこの講座を聴講していたのが平塚明子(はるこ)(らいてう)さんだったのです。

 明子さんは文学少女で小説を書きました。その第1作を褒める手紙を草平が書き送ったことで二人は急接近。随分安直なようですが、北村透谷にしても、島崎藤村にしても、当時の女子校の先生は、学生に随分とモテたのです。それから間もない41年2月に初デート。その翌月、イタリアの作家ダヌンツィオの小説『死の勝利』に強い影響を受けた二人は、栃木県の塩原温泉に赴いて心中を図ります。これまた恋に恋する女の子かよ、というほどに安直ですが(実際、明子さんは箱入りお嬢様)、雪深い山中を歩いているうちに二人はすっかりアホらしくなったようで、心中は未遂に終わりました。

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