PR

ライフ ライフ

【話の肖像画】台湾元総統・陳水扁(69)(19)泥仕合横目に「勝てるかも」

前のニュース

2000年の総統選で、投票日直前に行われた自身の支持者集会。熱気に包まれた
2000年の総統選で、投票日直前に行われた自身の支持者集会。熱気に包まれた

 《2000年3月の総統選挙で、与党・国民党は候補者選びをめぐって分裂した。現職の総統だった李登輝氏は自ら選んだ後継者、連戦氏を全力で支援し、党の公認候補にした。しかし党秘書長、台湾省長など要職を歴任した実力者、宋楚瑜(そう・そゆ)氏は納得せず、国民党を飛び出して立候補を表明した》

 選挙戦の1年近く前から、メディアは国民党のお家騒動ばかりに注目して、野党候補が話題になることはほとんどなかった。1999年7月10日、民進党大会で私は正式に公認候補になった。しかしその前日、李氏がドイツのメディアに「台湾と中国は特殊な国と国の関係」、いわゆる「二国論」を発表し、大騒ぎになった。中国が主張する「一つの中国」原則を事実上否定する発言で中国側が激怒、台湾海峡の緊張が一気に高まった。国内外のメディアは「二国論」一色となり、私の名前はほとんど新聞に載らなくなっていた。

 9月には台湾中部で大地震が起きた。李氏は連氏を対策本部長に任命し、しばらくの間、テレビには連氏しか映らなくなった。李氏のメディア戦略と思うが、選挙戦の前半、私は大きく出遅れる形となった。

 《投票の半年前、各メディアの世論調査では、1位が宋氏、次いで連氏、自身は3位だった。庶民派のイメージを持つ宋氏は数年前から出馬を準備しており、省長時代に公共事業予算を各地にばらまくことで、強力な支援ネットワークを構築していた》

 転機が訪れたのは99年12月だった。宋氏の長男の海外口座に巨額な隠れ資金があることが明らかになり、不正蓄財の大スキャンダルに発展した。

 実はその数週間前、連陣営から私のところに、宋氏の不祥事に関する内部資料が送られて、「君の方から発表してほしい」と頼まれていた。立法委員時代に国民党の不祥事を何度も追及した私が口火を切れば、宋氏へのダメージが大きくなると考えていたのだろう。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ