PR

ライフ ライフ

【話の肖像画】台湾元総統・陳水扁(69)(16)「オール台湾」で戦う外交

前のニュース

1995年、ロシアを訪問したとき、案内役を務めたのはのちの大統領、プーチン氏だった
1995年、ロシアを訪問したとき、案内役を務めたのはのちの大統領、プーチン氏だった

 《中国の妨害により、世界の主要国はどこも台湾を国として認めていない。国際社会で孤立している故郷の認知度を少しでも高めようと、台北市長として一生懸命、「都市外交」を展開した》

 台湾の総統も外相も外遊できる場所は限られているが、台北市長ならわりと自由に世界の主要都市に行けた。印象に残ったのは1996年、オーストラリアのブリスベンで「アジア太平洋都市サミット」が開かれることを知り、私たちはさまざまなルートを通じて招待状を手に入れたことだ。北京、上海など複数の中国の都市も参加する予定だったが、「台北を招待するなら欠席する」と主催者に圧力をかけた。水面下での激しい攻防の末、私が参加し、中国側が会議をボイコットすることになった。台北市が勝ち取った外交上の大勝利だった。

 アジア太平洋地域の主要都市の市長ら約30人と一堂に会し、私は一人一人と会話し、台北に来てほしいと要請した。多くの友人をつくることができた。台湾の代表としても国際舞台に立てたことは、何よりもうれしかった。

 《台湾にとって最も重要な国である米国と日本を訪れたほか、ロシアも訪問した。共産革命の発祥の地、台湾にとって縁の遠い国ではあるが、存在をアピールさえできればどこにでも出かけた》

 95年12月、サンクトペテルブルク市を訪問したとき、案内役を務めてくれたのは、当時の第1副市長のプーチン氏だった。私より2つ年下で、話が弾みすぐに仲良くなった。偶然なことだが、2000年春、プーチン氏はエリツィン氏の後任として民主化後の2代目のロシア大統領となり、私は少し遅れて、李登輝氏に続いて民主化後の2代目の台湾総統となった。

 後に聞いた話だが、私とプーチン氏の友情を中国の情報機関も把握していた。私が総統に当選したことを受け、モスクワにある中国大使館はすぐにロシア外務省に「大統領名で陳氏に祝電を出さないでほしい」と申し入れたという。

 都市外交を推進していると、さまざまな場面でこのような「中国からの妨害」に遭遇した。「国民党だけではなく中国共産党も私たちが戦うべき相手だ」と実感する場面が増えた。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ