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【話の肖像画】台湾元総統・陳水扁(69)(14)ソフト路線が奏功 台北市長に

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「希望にあふれる町、愉快な市民」をスローガンに台北市長に当選。よく変装して市のイベントに出席した
「希望にあふれる町、愉快な市民」をスローガンに台北市長に当選。よく変装して市のイベントに出席した

 《1949年、中国共産党との内戦に敗れた国民党政権は台湾に移ってきた。約200万人ともいわれる官吏、兵士とその家族らを連れて。彼らは外省人と呼ばれ、それに対して以前から台湾に住み、日本統治時代を経験した人々は「本省人」として別の社会集団を形成していた。自身と黄大洲氏、趙少康氏の三つどもえとなった1994年の台北市長選は、外省人と本省人の対立を浮き彫りにした戦いだった》

 対立を深刻化させたのは国民党を離党した趙氏だった。外省人の趙氏は、当時の総統兼国民党主席の李登輝氏が推進する本土派路線に強い不満を持っていた。李氏の側近である本省人の黄氏と、民進党から立候補した私を「台湾独立派」と強く批判した。市長選にもかかわらず、「中華民国を守る戦いだ」と訴え、テレビ討論会で「中華民国万歳」を連呼した。

 趙氏は「陳氏が当選すれば、台湾は独立に向けて大きく前進し、中国と戦争になる」との論法で危機感をあおった。趙氏の狙いは黄氏を支持する国民党系団体を切り崩して自分に投票させることだった。しかし、その勇ましい演説は、強権支配の蒋介石時代を連想させ、「再び外省人支配を許さない」との思いで、私や黄氏のところに本省人の支持が集まった。

 《危機感をあおる趙氏に対し、民進党陣営は「希望にあふれる町、愉快な市民」をスローガンに、ソフト路線に徹して選挙戦を戦った》

 趙氏の挑発に乗ったら相手のペースに巻き込まれると考えた私は、民進党のイメージチェンジを図った。これまでの選挙で私たちは「家族が殺害された」「不当に投獄された」など、悲しみと怒りを訴えることが多かった。そのやり方は議員には通用するかもしれないが、街づくりのトップには向かない。有権者に希望を与えることが一番大事だと考えた。

 「台北を楽しく、効率の高い街にするためにこれだけの改革を行う」と具体的な改革案を示し、ボランティアの大学生ら若者を前面的に出して「楽しさと若さを」をアピールした。

 《12月3日に投開票が行われた。61万票余りを獲得した自身は、42万票の趙氏と36万票の黄氏を抑えて当選した》

 投票の直前、趙氏と一緒になる機会があり、短く会話を交わした。「こんなに激しい戦いになると思わなかった。3万票以内の勝ち負けになる」と言われ、私は賛同した。それがまさか19万票の大差をつけて勝てるとは想像できなかった。大敗でショックを受けた趙氏は政界から引退し、テレビの司会者に転身した。

 当選が決まった夜、選挙事務所前に大勢の支持者が集まり、私の名前を連呼して喜びを爆発させていた。集会の規模は、議員当選のときよりはるかに大きい。「これで自分の立場は、監督者から為政者になった」と責任をかみしめながら、「ここで市民の期待にしっかりと応えれば、民進党は政権が取れるかもしれない」と思った。(聞き手 矢板明夫)

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