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【話の肖像画】台湾元総統・陳水扁(69)(11) “くじ引き”で民進党幹事長に

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1990年、民進党を代表して立法院で演説
1990年、民進党を代表して立法院で演説

 《1980年代後半、台湾の政治に目覚ましい変化があった。権威主義体制を敷いてきた蒋経国氏が死去、台湾出身の李登輝氏が総統に就任した》

 89年11月、立法院(国会に相当)の選挙が行われた。妻、呉淑珍(ご・しゅくちん)氏は引退し、私が後継者として立候補した。その約半年前、台湾独立を主張し続けてきた同志の鄭南榕(てい・なんよう)氏が焼死自殺したショックから、私はまだ完全に立ち直ってはいなかった。「鄭氏の思いを受け継がなければ」と考えた私は、選挙のビラに「台湾は独立すべきだ」との理念を書き込んだ。当時、総統の李登輝氏の下で、言論統制は以前と比べて緩くなったとはいえ、台湾独立を主張すれば反乱罪を問われる可能性があった。

 自分は逮捕されても構わないと考えた。この選挙ビラを数万枚印刷したが、結局、配らなかった。手伝ってくれるスタッフらがみな怖がっている姿をみて「迷惑をかけられない」と思い直して断念した。「台湾には言論の自由が必要だ」と改めて思った。

 《89年11月の立法院選挙で、民進党は21人の公認候補が当選し、議席をほぼ倍増させた。定数6の台北市北選挙区からは若手ホープといわれる自身と謝長廷氏の2人が当選した》

 謝長廷氏は私より4つ年上。美麗島(びれいとう)事件の弁護士時代からの仲間であり、ライバルでもあった。台湾メディアはよく2人の名前から一文字ずつを取り、「長扁の闘い」と表現している。

 立法院選挙後、私も謝氏も、民進党議員団を率いる幹事長ポストに就きたかった。2人とも譲らず、先輩議員で同じく美麗島事件弁護士の張俊雄(ちょう・しゅんゆう)氏に調停役として間に入ってもらった。それでも平行線をたどったため、最後はくじ引きをすることになった。くじを2つ作り、謝氏が先に引いて外れだった。そこで張氏は突然、「謝氏が陳氏に譲ったことにしよう」と言い出した。私も謝氏も同意し、3人は一緒に記者団に幹事長人事を発表した。くじ引きしたことは伏せた。話し合いの結果だと強調して党内融和を演出した。

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