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【話の肖像画】台湾元総統・陳水扁(69)(9)悪夢のような「妻へのテロ」

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2000年5月20日。総統就任式の朝、自宅前で妻の呉淑珍氏を車いすに乗せる
2000年5月20日。総統就任式の朝、自宅前で妻の呉淑珍氏を車いすに乗せる

 《1985年11月、故郷・台南県の県長選挙に出馬した。出馬は投開票の約2カ月前に急遽(きゅうきょ)決まったため、当選の可能性は極めて低いことは分かっていた》

 選挙は週刊誌「蓬莱島(ほうらいとう)」の記載内容について当局から訴えられた名誉毀損(きそん)裁判の第2審の審議中だった。当局の目的は言論弾圧であるため、2審も私が有罪になることはほぼ予想できていた。県長選への出馬は当選することより、選挙を通じて私の無実と当局の横暴さを訴え、「党外勢力」と呼ばれた私たち民主派の存在感を示すことが目的だった。当局による選挙妨害はすさまじかった。選挙ビラとして有権者に配る資料が「党と人民の信頼関係を破壊する」という理由で発禁、没収された。集会が強制解散させられたこともあった。投開票の結果、当選はしなかったものの予想をはるかに超える票を獲得した。落選後にスタッフと選挙区内を「謝票」(お礼行脚)したが、あちこちで爆竹を鳴らされ、大歓声で迎えられた。「この感触なら次は行けるかも」と思ったとき、悲劇が起こった。妻が車にひかれたのだ。政治テロだった。

 《投票日前日の11月15日。妻の母親のところに脅迫状が届いていた。「陳水扁に妻を失う苦しみを与えてやる」と書かれていた。この手の脅迫状は当時、台湾で民主化運動に関わる活動家のところによく届いていた。ただの脅しと思い、無視していた》

 その3日後の18日正午過ぎ、支持者らと事前に予約したレストランに向かっていた。妻は数人の女性と一緒に少し離れて後ろを歩いていたのだが、いきなり飛び出してきた三輪トラックにはねられた。最初は倒れただけだったが、トラックはバックしてもう一度、妻をひき、逃げ去った。病院に搬送される途中、妻は一度意識を取り戻し、「私は死んでしまうの。子供はどうなるの」と聞いてきた。第7頸椎(けいつい)が30以上の破片に砕けてしまい、2度の大手術を経て一命を取り留めたが、妻は胸から下の感覚を失い、下半身不随となった。私が政治の道を選んだことで、妻に大きな代償を払わせてしまった。ショックで頭の中が空白となり、しばらく何もリアルに感じなかった。

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