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【書評】演劇ジャーナリスト・永井多恵子が読む『常陸坊海尊』秋元松代作 人の性、業に迫る名戯曲

『常陸坊海尊』秋元松代作
『常陸坊海尊』秋元松代作

 歌舞伎「勧進帳」は、源義経が奥州に逃れる途中、安宅の関での弁慶の当意即妙な弁舌が見どころだが、その主従一行の中に常陸坊海尊(ひたちぼう・かいそん)の名がある。「義経記」によれば義経が自決した衣川の戦い前夜、海尊は逃亡した。この裏切りを悔い、琵琶法師となって750年放浪したという海尊伝説が東北にある。

 劇作家、秋元松代(1911~2001年)の代表作というべき本作は、民間伝承に依拠しつつ、第二次大戦前後、多くの人が体験したであろう裏切り、悔恨を重ねあわせて描かれている。時を経ても変わらない人の性(さが)、業(ごう)に迫っているといっていい。秋元の戯曲が今も人々の心を打つのは、そこに深く刻まれた庶民の哀切の声を聴くからではないだろうか。

 本作は、まずラジオドラマの脚本として昭和35年度芸術祭賞奨励賞、後に戯曲化され田村俊子賞、上演後、戯曲に対する芸術祭賞をそれぞれ受賞。今回、他の2戯曲(近松心中物語、元禄港歌)とともに文庫本に収録された。

 物語は第二次大戦中、東北に疎開した子供、啓太と豊が山中で巫女(みこ)のおばばと美しい孫娘雪乃と出会うところから始まる。おばばは海尊伝説のミイラを見せ、困ったことが起きたら「海尊」の名を呼べと教える。やがて、東京大空襲で孤児となった二人は農家の養子に斡旋(あっせん)されるが、啓太は姿を消してしまう。

 一方、養子になり東京で勤め人となった豊は16年後、啓太を探して東北の神社を訪ねる。そこには美しく成長した巫女・雪乃と下僕となった啓太がいた。雪乃が豊を誘うように近寄ると、啓太が助けを呼ぶように「海尊さまー」と叫ぶ。啓太は放浪の琵琶法師・海尊となったのだろうか。

 戯曲には他に3人の「海尊」が登場する。盲目の老いた琵琶法師、闇屋風情の中年男は敗走兵の身体で現れる。三人目は初老の男。彼は啓太をいたわり「この海尊の罪に比ぶればみなみなさまはまこと清い清い心をばもっておるす…。わが身にこの世の罪科をば、残らず身に負うて辱めを受け申さん」と救いをみせて遠ざかる。

 琵琶の音とともに、「海尊さまー」の叫びが遠くに聞こえてくる戯曲である。(ハヤカワ演劇文庫・1500円+税)

 評・永井多恵子(演劇ジャーナリスト)

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