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障害児教育に道開いた学園の「母ちゃん」 宮城まり子さん死去

上皇、上皇后両陛下のご訪問を受け、園生に囲まれて取材に応じる宮城まり子さん=平成30年11月27日、静岡県掛川市のねむの木学園(田中万紀撮影)
上皇、上皇后両陛下のご訪問を受け、園生に囲まれて取材に応じる宮城まり子さん=平成30年11月27日、静岡県掛川市のねむの木学園(田中万紀撮影)

 体が不自由な子供のための施設「ねむの木学園」を日本で初めてつくり、障害児教育の道を切り開いた女優の宮城まり子さん。活動当初は「売名行為」などと冷ややかに評されたこともあったが、全ての子供に教育を受けさせたいという熱意は揺るがなかった。学園では、園生の「母ちゃん」として愛情を注ぎ続け、子供たちの可能性を引き出した。

 「正直、こんなに大変だとは思わなかった。何度厚生省(現厚生労働省)に通ったことか」

 学園が創立50周年を迎えた平成30年、宮城さんは産経新聞の取材に対し、こう振り返った。

 昭和35年に脳性まひの子役を演じたことがきっかけで、学園設立を思いたった宮城さんだが、当時は旧優生保護法下で障害者への偏見が強く、教育の場が整備されていなかった。制度や法律もないなか、厚生省や静岡県に働きかけを続け、特例として学園の設立が認められた。

 学園は常に経済的に厳しい状況が続いたが、資金集めなどで多忙を極める宮城さんを支えたのは園生たちだった。「母ちゃん、母ちゃん」と親しまれ、宮城さんも「子供たち」と呼んで愛し続けた。

 絵画や音楽を通じて、子供たちの能力を引き出す学園の教育は国内外で高い評価を受けた。上皇ご夫妻も活動に関心を寄せられ、学園を訪れたこともあった。宮内庁関係者によると、上皇ご夫妻は宮城さんの死去を受け、学園に弔意を伝えられたという。

 子供たちの才能を伸ばす秘訣(ひけつ)を「出来上がるまでやること」と話していた宮城さんは最期まで、園生を優しいまなざしで見守り続けた。宮城さんの死は21日夕、園生に伝えられた。「お母さんがお空にお出掛けしたよ」と告げられ、大声で泣きだす子もいたという。

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