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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第5章 戦後75年 記者たちの目に映った「楠公さん」(2)小泉八雲が聞いた「正成の歌」

 明治初年。行く先々で「日本の歴史上の人物で最も尊敬するのは誰か」と尋ねる米国人がいた。

 誰に聞いても答えは常に「楠木正成(くすのき・まさしげ)」だった。私心のない奉公心、沈勇剛毅の性格に、その理由があると彼はみた。

 お雇い外国人として明治3年に来日したウィリアム・E・グリフィス(1843~1928)である。日本に4年滞在。帰国後、実体験に基づいた日本論『皇国』を出版した。

 グリフィスに限らず、幕末以降に日本に滞在した外国人で、正成や建武中興に共感した人物は多い。

 ○駐日英国公使、ハリー・S・パークス(1828~85)。湊川の戦いに赴く正成が、嫡男(ちゃくなん)・正行(まさつら)に後事を託した「桜井の別れ」の地(大阪府島本町)に明治9年、日本人より先に顕彰碑を建てる。

 ○ロシア人の日本文学研究者、V・M・メンドリン(1875~1920)。正成を絶賛した頼山陽(らい・さんよう)の『日本外史』をロシア語に翻訳。それを勧めたのは、ニコライ堂(東京)の聖ニコライとも考えられる。

 ○英国人の神道学者、リチャード・ポンソンビ=フェーン(1878~1937)。江戸時代の尊王家になぞらえ「碧(あお)い眼をした高山彦九郎」と呼ばれる。「建武中興の失敗」という論文では、後醍醐天皇親政の失敗の理由を詳細に分析。正成への報酬が少ない、といった指摘もある。

 ○ドイツ人学者、ヘルマン・ボーネル(1884~1963)。第一次大戦で捕虜となって板東俘虜(ふりょ)収容所(徳島県鳴門市)に。解放後は大阪外国語学校の教壇に立ち、北畠親房の『神皇正統記』を独訳する。

 筆者が、日本人以外のこうした反応に関心を持ったのは、連載の第2章9回目で、「溺れる敵兵を救った正行の美談に欧米人が感動したことで、日本の赤十字加盟が容易になった」という“伝承”について調べたことがきっかけだった。

 敵をも敬った楠公父子の博愛は、赤十字の理念とも重なる。19世紀の欧米人の心を打ったとしても不思議はない。

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