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【100年の森 明治神宮物語】第1部「誕生」

明治神宮鎮座祭の日に、境内を埋め尽くす参拝者たち=大正9年11月1日(帝国軍人教育会編「明治神宮御写真帖」帝国軍人教育会出版部、同年)
明治神宮鎮座祭の日に、境内を埋め尽くす参拝者たち=大正9年11月1日(帝国軍人教育会編「明治神宮御写真帖」帝国軍人教育会出版部、同年)
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50万人超が参拝 鎮座「初詣」

 「拝殿前も殺到する一般参拝者の大群に踏潰されん計りの混乱さ」「群衆は西参道方面に向つて押し遣られ、其の勢ひ巨濤の逆巻くにも似て恐ろしい許りの情景である」(原文ママ)

 壮絶な「初詣」の様子は、大正9年11月1日の鎮座祭の翌日、時事新報が伝えた。1日だけで参拝者は50万人を超え、にぎわいは深夜も続いたという。

 この日が明治神宮100年の歴史の始まりになる。ただ、熱狂の鎮座祭に至るまでには「東京」「神宮」をめぐって異論もあった。

 「富士山説出(い)づ」。元年8月10日の静岡民友新聞にこんな見出しの記事がある。富士山を「明治神宮御建設地には殆ど唯一無二と目すべき地点」とする地元の請願の動きで、静岡県立中央図書館歴史文化情報センターによると、これ以後も「本県の有志者頻りに運動中」(8月31日)などと続報が載っている。

 「明治神宮造営誌」によると、こうした請願は東京のほかに茨城県の筑波山、神奈川県の箱根離宮付近、埼玉県の朝日山など13候補地39件に及び、うち最多の22件が富士山だった。

 「明治神宮の出現」の著書がある東京大の山口輝臣准教授は、神宮誘致は霊峰・富士のような「風致」重視か、東京のような明治天皇との「由緒」重視かで争われたと指摘している。

 また、神宮という選択には、後に首相となる記者の石橋湛山(当時28歳)が「極めて旧式の方法」と批判し、ノーベル賞のような明治賞金の創設を提案。美術館を推す声もあった。

 ただ、異論が主流になることはなかった。富士山について山口氏は「シンボリックに推した人たちも、神社をつくる具体的な空間になると意見集約ができず、本格的な運動にまで行かなかったのでは」と推測する。記念方法では、前回触れた「外苑」構想が他の案を吸収した側面もあった。

 服喪期間の諒闇(りょうあん)をへて2年11月、神宮造営が決まり、3年4月には鎮座地が代々木の御料地(皇室所有地)と青山練兵場に内定した。ここは崩御で到来しなかった明治50年に「日本大博覧会」が開かれるはずの土地だった。内定直後に昭憲皇太后が崩御。明治神宮は2人を祭る神社になる。

 鎮座初日に殺到した人々は、明治を象徴する2人の御霊に手を合わせ、全国から集められた木々による若い森を見上げた。その造林の物語を次回から追う。

(「誕生」おわり)

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