PR

ライフ ライフ

【話の肖像画】弁護士・北村晴男(63)(5)長男誕生…司法試験に没頭

前のニュース

念願の司法試験に合格し、司法修習生だった31歳のころ(右)、両親と
念願の司法試験に合格し、司法修習生だった31歳のころ(右)、両親と

 《大学2年の終わりに、アパートの一室を借りて小さな学習塾を開いた。大学卒業後も司法試験の勉強を続けるためだった》

 塾講師のアルバイトで開業資金30万円余をためました。塾の教室となる埼玉県和光市のアパートの家賃が2万5千円。新聞折り込み広告が12万円です。あとはホワイトボードと長テーブルなどに使いました。初期投資の大半が生徒募集のチラシの印刷と新聞の折込費用でしたが、中学校の校門前でチラシを配るなどして集まった生徒はたったの1人。しかし、この1人の存在は大きかった。ゼロからは何も生まれませんから。この生徒には一生懸命教えました。そうすると「あの塾のおかげで、勉強がよく分かるようになった」と友達を通じて評判が広がります。進学塾というより補習が必要な生徒が多かったので、一から丁寧(ていねい)に指導しました。生徒も徐々に増え、大学卒業時点では口コミで50人近くになりました。

 《学習塾の経営は軌道に乗ったが、「人生の甲子園」と定めた司法試験には落ち続けた》

 大学卒業後に受け始めた司法試験は2年続けて短答式(試験)で落ちました。3年目は短答式こそ通りましたが、論文式(試験)で落ち、以後5回連続、論文で落ちました。私生活では28歳で結婚。なれそめは私の学年で作った大学のソフトボールサークルです。私が4年生の時に、妻は1年生で入部してきました。「グラブさばきがうまいな」というのが最初の印象。聞けば中学時代、ソフトボールの四国大会で優勝した経験がある。それはうまいはずです。その妻との結婚を父親に報告すると、「お前みたいに定職もなく、夢を追いかけている人間でも、結婚してくれる女性がいるのか」と驚かれ、「そういう人に苦労はかけられない。資金を援助する」と言われました。それなら、と早速生徒の募集をやめ、残っていた生徒を送り出したころで、塾を閉めたのです。

 塾経営をやめて勉強に専念するようになった29歳の時、長男の晃一が生まれました。私は自分でも楽観的な人間だと思いますが、さすがに7回も司法試験に落ちると「これはやばいな」と、ものすごい不安に駆られました。長男が物心ついた頃、「お父さんは何しているの?」と聞かれ、「お勉強をしているんだよ」と答えるのは何としても避けなければ。長男の誕生をきっかけに、死に物狂いで勉強しました。あの最後の1年は今から考えても、「気がおかしくなるかも」と思うほど勉強に没頭しました。人間の脳は普段わずかしか使っていないといわれますが、極限まで使うことで眠っていた脳細胞が活性化したように感じました。30歳で臨んだ司法試験。5回連続で落ち続けた論文式試験の問題を見た瞬間、考えたことのない問題でも勝手に手が動いていました。論述が自然に湧いて出てくるのです。不思議な感覚でした。後に浅田次郎さんの小説「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」を読んで、「これだ」と思いました。科挙に臨んで神懸かりの答案を書く主人公と自分の姿が重なったのを覚えています。人生は結果が全てです。あの時の私は、子供が生まれて人生のつじつまを合わせなければと必死になった結果、司法試験に合格できたのだと思います。(聞き手 大竹直樹)

次のニュース

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ