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【本郷和人の日本史ナナメ読み】日本史学と実証主義(下) 「考える」歴史学が生んだ皇国史観

 たいへん申し訳ありませんが、そうした事態は望み薄です、と答えざるを得ません(ただし、江戸時代以降はその限りにあらず)。織豊(しょくほう)政権くらいまでの古文書は、明治以来の調査で、ほとんど探し尽くされています。最近、この古文書が見つかった、とニュースになっているものも、この古文書の「原本(実物)」が見つかった、というだけのこと。古文書の影写本はすでに史料編纂所に架蔵されている。内容は研究者にすでに知られている、というものばかりなのです。

 史料編纂所はやがて、これらの良質な史料を活用して、一大史料集である『大日本史料』の刊行を開始します。一見すると、くずし字を活字に置き換えるだけの単純な作業をくり返しているように見えますが、史料の内容を調査し、解釈し、他の史料との連続性を明らかにするのは容易ではありません。かかる熟練の作業は、先輩から後輩に伝えられ、今にいたっているのです。

 ただし、そうした歴史への向き合い方に疑問を投げかけた研究者がいました。それこそは平泉澄(きよし)だったのです。平泉は言います。史料編纂所のやっていることは「調べる」ことにすぎない。彼らはまったく「考えて」いない。それでは職人ではあっても、研究者とはいえない!

 ちょうど同じ頃、大正年間に、あのアインシュタイン博士が来日し、「相対性理論」を講義しました。東京帝大で博士を出迎えたのが、田中館愛橘(たなかだて・あいきつ)博士。帝大で物理を教え、多くの俊英を育てた方です。彼の門下生の一人が、夏目漱石の高弟としても知られる寺田寅彦(『吾輩は猫である』の水島寒月のモデルと称される)です。この愛橘先生、「相対性理論」の講義を聴いてどんな感想をもったか。彼はノートに書き記しました。「考えてない。調べただけ」。おお!

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