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野村克也さん、球界入り「きっかけは新聞」 本紙創刊80周年で語る

昭和48年10月、南海がリーグ優勝。選手やファンに胴上げされる野村克也さん
昭和48年10月、南海がリーグ優勝。選手やファンに胴上げされる野村克也さん

 野村克也さんは平成25年6月、本紙創刊80周年に寄せてメッセージを寄せていた。

 「病弱だった母親と、兄、私の3人暮らし。家計を支えるため、小学3年から中学3年まで、毎日、新聞配達をしていた」。産経など複数の新聞配達を毎日していたという野村さん。プロ野球選手になったきっかけも新聞だった。「たまたま、『南海ホークス新人募集』という広告が新聞の片隅に出ていた。行ってみよう、と。まさか受かるとは思わなかった」。

 入団後「テスト生は相手にしてもらえない。ブルペン捕手を採用するためだったと分かった」が努力を重ね、一軍入りした。

 「産経グループには長い間世話になったよ。現役時代から評論で声をかけてもらった」。特に印象に残っているのが「昭和54年の広島と近鉄の日本シリーズ」で、「記者席の最前列に座って1球たりとも逃さなかった。第7戦で『江夏の21球』。一球一球分析して、よい原稿ができた」と振り返った。

 平成元年に監督の打診をしたヤクルト球団社長は評論を読んでいたとし、「見ている人はいるんだなと。新聞には足を向けて寝られないな」と述べていた。

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