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野村克也氏が死去、84歳 戦後初の三冠王、「ID野球」で優勝請負人

プロ野球ヤクルトOB戦で挨拶する野村克也さん=2019年7月11日、東京・神宮球場(矢島康弘撮影)
プロ野球ヤクルトOB戦で挨拶する野村克也さん=2019年7月11日、東京・神宮球場(矢島康弘撮影)
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 現役時代はプロ野球の南海などで活躍し、ヤクルト、楽天などの監督を務めた野村克也(のむら・かつや)さんが死去した。84歳だった。

 京都府出身。峰山高を経て昭和29年、南海にテスト生として捕手で入団。3年目の31年からレギュラーに定着し、40年、戦後初の三冠王に輝くなど南海の黄金時代を支えた。45年からは選手兼監督となり、48年に優勝へと導いた。

 その後、ロッテ、西武に移籍し、昭和55年に現役を引退。通算3017試合出場は歴代1位、通算657本塁打は歴代2位。9度の本塁打王を獲得し、史上最多となる通算19回のベストナインにも選ばれた。平成元年に殿堂入りを果たした。

 「ノムさん」の愛称で親しまれた野村氏は平成2年、ヤクルトの監督に就任。緻密な分析に基づくデータ重視の「ID野球」を掲げ、ヤクルトを4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた。その後は阪神、社会人野球「シダックス」の監督を経て、18年に楽天の監督に就任。21年、球団初となるクライマックスシリーズ出場を果たした。監督としての通算成績は3204試合で1565勝1563敗76分け。楽天の監督退任後は野球解説者として活躍していた。

 現役時代は捕手として打者に話しかける「ささやき戦術」を取り入れ、経験に基づく巧みなリードで打者を翻弄。監督としては、投手のクイックモーションの導入など現代野球の基礎を築いた。また、戦力外などを経験した選手を再び1軍の戦力として甦らせる手腕は「野村再生工場」と呼ばれた。インタビューなどで愚痴をつぶやく「ボヤキ」でも話題を集めた。

 現役時代には、元巨人の長嶋茂雄氏、王貞治氏と自らを比較し「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」とたとえた。また、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」「生涯一捕手」など多くの名言を残した。

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