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【書評】『エドワード・ホッパー 静寂と距離』青木保著

 ■美術を論じる醍醐味

 「美術評論は何処(どこ)へ行った?」という声を近年よく聞く。巷では数多の展覧会が開催され、新聞には美術評が載り、書店には美術書が並んでいるのに、だ。本書を読むと、その理由が分かるような気がする。

 文化人類学者の著者は、文化庁長官、国立新美術館館長も務めたが、あくまで美術の専門家ではなく一介の鑑賞者として、好きな画家の作品を論じる。対象は20世紀アメリカを代表する画家の一人、エドワード・ホッパー。そして、作品との対峙(たいじ)の仕方、論じ方をこう提起する。

 <作品自体がそれを見るものに訴えてくるものを受け手が、自分の置かれてきた文化環境の中でどう受け止めるか、その受け止めたものを文化環境の違いの中でどう示すか、見る者の言葉でどのように表すのか>

 それは、実物、複製を問わず、目の当たりにした作品一点一点を、“いま”“ここ”にいる自分に引き寄せ、想像力を膨らませて自身の物語、世界観を構築していくことになるだろうか。芸術鑑賞とは本来、極めて私的な体験であり、喜びであり、それを論じることは一つの創作に他ならない。しかし、昨今の美術評論は作品を目の当たりにした一鑑賞者としての率直な感想やそこから膨らむイメージよりも、作家の問題意識や歴史的背景といった客観的視点に囚(とら)われ過ぎではないか。そして、美術鑑賞自体が教養主義的になっていないか。著者はそんな疑問を投げかけているようだ。

 ホッパーという画家を取り上げたところも意味深い。もちろん、自分好みの画家であることが第一義なのだろう。が、それにも増して、ホッパー絵画の性格によるところも大きい。その作品の数々は、都会の孤独や日常生活の憂鬱なる言葉で語られながら、画家は何も物語ってはないとされる。著者も「語らない、説明しない」ことこそが魅力の核心だという。

 つまり、ホッパーの絵画は、内容を読み解くのではなく、個々にイメージを想起させるのだ。ゆえに時代や国民性、文化観の違いを超えて、自由に感情移入ができ、独自の物語を膨らませていける。それこそが美術鑑賞の醍醐味(だいごみ)であり、美術評論の創造性であることを改めて考えさせられる。(青土社・2400円+税)

 評・藤田一人(美術ジャーナリスト)

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