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【教科書が教えない 幻の堺幕府】5年の短命政権が招く 天下人の時代の幕開け

 京都を逃れていた室町幕府の実力者、管領(かんれい)の細川高国を亡き者にしたことで、足利義維(よしつな)をトップ、細川晴元をナンバー2とする堺の政権は安泰(あんたい)になったかと思われた。だが、軍司令官を務め、政権を実質的に取り仕切る三好元長は、畿内の有力武将らから妬(ねた)まれ、武将らの讒言(ざんげん)を鵜呑みにした晴元からも危険視された。ほとんど孤立状態に陥った元長は味方の裏切りに遭い、壮絶な最期(さいご)を遂げる。その死により「堺幕府」は終焉(しゅうえん)するが、同時に織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった天下人(てんかびと)の時代の幕開けとなった。(古野英明)

孤立する元長

 晴元に疎まれ、三好家の本拠地・阿波(徳島県)に一旦戻っていた元長は、室町幕府方との戦いのため再び呼び戻されると、享禄4(1531)年6月、管領・高国を大物(だいもつ)(兵庫県尼崎市)の戦いで破り、切腹に追い込んだ。その後、元長は「堺幕府」の中枢に戻ったが、いったん緩んだ政権内の結束はもはや元には戻らなかった。

堺の歴史を顕彰する堺まつりの武者行列にも登場する三好元長。ふんするのは顕本寺の菅原善隆住職だ
堺の歴史を顕彰する堺まつりの武者行列にも登場する三好元長。ふんするのは顕本寺の菅原善隆住職だ
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 16世紀前半の畿内の戦乱を描いた軍記物「細川両家記」によると、河内(大阪府東部)の木沢長政、摂津(大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)の茨木長隆に加え、元長と同族の三好政長が元長に反目(はんもく)。木沢長政らは、高国によって暗殺された柳本賢治同様、晴元に元長の悪口を吹き込んだ。さらに天文元(1532)年3月、晴元と元長の間に入って仲をとりなしていた阿波守護(しゅご)、細川持隆(もちたか)が地元に帰ってしまうと、元長は完全に孤立してしまう。

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