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【話の肖像画】福岡ソフトバンクホークス球団会長・王貞治(79)(14) 「ONの悲劇」から見えたもの

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現役引退してすぐに助監督に就任、選手たちの指導にあたった=東京・多摩川グラウンド
現役引退してすぐに助監督に就任、選手たちの指導にあたった=東京・多摩川グラウンド

 《「一度ゆっくり外から野球を見たい」という願いはかなわず、昭和56年のシーズンから藤田元司政権下で“横滑り状態”で助監督、そして59年から監督としてユニホームを着続けた8年間》

 助監督は「決断しない。何の責任もない」という立場だった。サインを出す藤田監督がいてヘッドが牧野茂さん、打撃には末次(利光さん)、投手に中村稔さんと担当コーチがいる。選手はそんな僕を見ている。

 監督になってもユニホームを着たままずっと同じチームにいるから、ある程度選手の延長的なところがある。だから選手たちは「監督・王」でなく、まだ「選手・王」として見ている。そのイメージというのが抜けない。ちょっと前までは同僚だったんだから、しようがないですが。

 《監督1年目は開幕から10試合を1勝6敗3分けと出遅れて最終的に3位。思えば長嶋第1次政権1年目(50年)も開幕から10試合で2勝6敗2分けとつまずいて最下位に沈んだ。ON両監督に仕えた中畑清さん(前DeNA監督)は「ONは別格、恥をかかせまいと選手たちは必要以上に意識した」と証言した。ONがゆえにかかる独特のプレッシャーの存在》

 長嶋(茂雄)さんも、川上(哲治)さんが長く監督を務めた後(50年)に就任した。川上さんとは違う路線をいこうという意識があったと思うが、僕らの中にはまだ「監督・長嶋」ではなく、やっぱり「選手・長嶋」の感覚が残っていて、「どうなるんだろう」という思いで見ていたと思う。僕が監督になったときも、そんな現象や雰囲気があったかもしれない。

 《60年のドラフトでPL学園高の清原和博内野手を回避、桑田真澄投手を獲得して「悪者」にされたが、その桑田が62年の優勝に貢献した。5年目の63年は中日に12ゲーム差をつけられての2位となり、その年の9月29日、“解任”された。ベテランが峠を過ぎ、若手が発展途上という中でも一度もBクラスに落ちることはなかったが…》

 62年の優勝は忘れられない。2年目の桑田が15勝6敗で防御率も1位と成長した。鹿取義隆を中心とした投手継投も確立され、接戦をものにできた。当時はワンパターンといわれたが、今では“勝利の方程式”としてどの球団もやっている。投打ともにやっと思うようなチームになってきたが、勝敗の責任は全て監督が負う。球団から「契約しない」といわれたら従うしかない。63年に30年間のジャイアンツ生活を終えましたが、この世界は結果が全てですからね。

 現役を退いたときに辞めなかったことは今でも悔いが残っています。僕や長嶋さんはそうなってしまったのですが、もし誰かからアドバイスを求められたら言いたい、「いったん外の世界を見ろ」とね。

 最近ではジャイアンツの高橋由伸だってかわいそうでしたよ(現役引退からすぐに監督になり、平成28年から3年間で結果を出せずに退団)。今年、阿部慎之助がどうなるか。2軍監督だから勝ち負けにはあまり関係しないからいいと思うけど、僕の経験からも、選手を辞めたらいったん外へ、という考えでいる。やはり外で勉強すると違う世界が見えてくるものです。(聞き手 清水満)

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