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【話の肖像画】福岡ソフトバンクホークス球団会長・王貞治(79)(12)試合出場97.4%に誇り

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昭和46年の日本シリーズ第3戦、九回2死まで零封されていた阪急のエース山田久志から逆転サヨナラ3ランを放つ=10月15日、後楽園球場
昭和46年の日本シリーズ第3戦、九回2死まで零封されていた阪急のエース山田久志から逆転サヨナラ3ランを放つ=10月15日、後楽園球場

 《“世界記録”の868本塁打。2度の三冠王(昭和48、49年)を含み本塁打王15回、打点王13回、首位打者5回、シーズンMVP9回》

 タイトルはうれしい、勲章です。でもあくまでも結果としてついてきたものであって、そのために野球をしたことは一度もないです。タイトルのために休む選手もいましたが、僕は休まなかった。僕のモットーはどこが痛かろうが出続けることです。オープン戦もほぼ皆勤して98本塁打している。試合があったら出るのが僕の仕事。「休む」という文字は一切なかった。試合に出たとか、けがが少なかったとか、「無事これ名馬」ではないですが、これは誇れます。

 《打撃記録以上に自負するものがある》

 断然、公式戦出場2831試合です。試合数(在籍22年間、チームの2906試合中)の97・4%かな。ジャイアンツの中で一番多い。それは誇りです。868本打っているよりも、ずっとです(ちなみに長嶋茂雄さんは96・9%、巨人時代の松井秀喜さんは94・4%)。

 小さいときから大きなケガもしなかった。子供の頃、三角ベースをやっていて夢中になってボールを追いかけ、転んで顔面を打って、前歯が欠けたことくらいかな。プロ入り後もある年、走塁でスパイクされて足を裂傷して縫ったことがありましたが、その時もすぐにオールスター休みがあり、治療をしながらも多摩川グラウンドで練習していた。だから休むのが少なかった。ピンチは肋骨(ろっこつ)にヒビが入ったときかな。全治1カ月だったけど、あの時も2週間くらいで出た記憶がある。

 《54年8月28日の中日戦(後楽園)、一塁塁上で走者と接触して肋骨にヒビが入り、さらに右足首捻挫で8試合欠場した。約半月後の阪神戦(9月12日)、自身唯一の代打本塁打を放ち、「これ、一度打ってみたかったんだよね」と868分の1に歓喜した》

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