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【話の肖像画】福岡ソフトバンクホークス球団会長・王貞治(79)(8) 投手失格…苦悩の3年間

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巨人への入団会見で初めて背番号「1」のユニホームを着る=昭和33年10月
巨人への入団会見で初めて背番号「1」のユニホームを着る=昭和33年10月

 《栄光の巨人に「背番号1」で入団。契約金は破格の1800万円、年俸144万円だったが、キャンプでいきなり「投手失格」に》

 契約金などお金のことはすべて両親に任せていたので実感はありませんでした。入団発表ではプロ入りを反対していたおやじ(仕福さん)も顔を見せ、喜んでいた姿が今でも忘れられません。

 年明けの昭和34年2月1日、寝台急行「高千穂」でキャンプ地である宮崎に向かった。キャンプでは、すでにスターだった長嶋茂雄さんと同室になったが、10日もしないうちに5、6人の大部屋に移されました。どうやら僕の寝相の悪さやいびきに長嶋さんが悲鳴を上げたらしい。僕としては「そうですか」という気持ちで何とも思わなかったし、むしろ大部屋でみんなでワイワイやっていたほうが性に合っていた。

 2週間ほどした後、水原茂監督、川上哲治、中尾碩志(ひろし)両コーチに呼ばれた。「明日からピッチャーはしなくていい」と言われ、外野手をやりました。それから10日もしないうちに今度は「一塁手をやれ」と…。左打者で左投げでしょ。投手も外野手もだめだと一塁手しかない。「こりゃ、まあしっかりやらなきゃ」という気持ちにはなりましたね。

 《オープン戦で5本塁打と好調も、公式戦デビューでは散々。その後もプロの壁が立ちはだかる》

 開幕戦は4月11日の対国鉄(現東京ヤクルト)戦、「7番・一塁手」で先発メンバーに名を連ねた。この試合は金田正一投手の前に2打数2三振1四球。長嶋さんが前年のデビュー戦で4打数4三振だから「あの長嶋さんでさえ」と楽観してましたが、その後は開幕から10試合ノーヒット。さすがに水原監督もよく我慢して使ってくれたと思います。

 初安打は4月26日の国鉄戦の村田元一投手から、右翼席に運んだ。初本塁打でもあった。その年の6月25日の阪神戦(後楽園球場)では6番・一塁手で出場し、2-4で迎えて七回、小山正明投手から2ランを打った。これが後に「ON通算106回」となるアベック弾の始まりだった。1年目は高校とプロに差があり、94試合で打率1割6分1厘、7本塁打。壁に当たった。

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