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【話の肖像画】福岡ソフトバンクホークス球団会長・王貞治(79)(7)挫折が生んだプロへの決断

 ふがいなかった。あまりにも悔しくて、「野球でやり残した」という思いが日増しに強くなっていった。5度目の甲子園に行っていたら、大学に進学していたと思います。兄貴が慶応で、僕は早実、早稲田系。おやじは兄弟2人が医者と電気技師として、いつの日か故郷・中国に恩返ししたいと考えていた。プロのスカウトの方々にも大学進学を宣言していました。

 でも高校最後の試合で負けたことでプロ入りを決めた。都立(墨田川高校)受験に失敗し、高校3年生の最後に逆転負け。そんな挫折が野球への情熱をかきたてたのかもしれません。プロ入りを決断したときには、まだ巨人からの誘いはなかった。阪神はずっと熱心に誘ってくれた。阪神のエース、村山実さんをスカウトした佐川直行さんが実家に通い詰めていました。「阪神入りか」という新聞報道もあった。当時はまだドラフト制度もなく、自由競争の時代で、契約書にサインすれば決まりで、阪神とは契約寸前までいっていた。そこにジャイアンツがやってきた。

 8月31日に両親、親族が集まって家族会議を開きました。東京育ちの僕はやっぱりジャイアンツだと思っていた。最後は僕に委ねられた。兄貴が「お前どうするんだ?」と聞いてきたので、「ジャイアンツに行きます」と言って決まった。僕の決断です。

 いま考えてみると、この決断と後に九州に行くという決断(平成6年シーズンオフの福岡ダイエーホークス監督就任)をしたこと。この2つの決断は僕の人生にとって大きなものでした。どちらも周りはみんな反対しましたが、だからこそ、いまの人生があると思っています。(聞き手 清水満)

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