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「誰かのための座右の書を」 設立10年、ひとり出版社「夏葉社」島田潤一郎の“仕事原論”

「誰かにとっての座右の書を作りたい」と話す出版社「夏葉社」代表の島田潤一郎さん=東京都武蔵野市(花房壮撮影)
「誰かにとっての座右の書を作りたい」と話す出版社「夏葉社」代表の島田潤一郎さん=東京都武蔵野市(花房壮撮影)

 編集経験のない文学青年が、たった一人で立ち上げた出版社の10年の軌跡を自ら描く「古くてあたらしい仕事」(新潮社)がこのほど刊行された。著者は、こだわりの本作りで知られる「夏葉社」(東京都武蔵野市)代表の島田潤一郎さん(43)だ。連戦連敗だった転職活動、幼少時から夢中で遊んだ従兄の死…。そんな経験をへてたどりついた「本を作る」という仕事は、救いであり、生きる希望そのものだった。   (文化部 花房壮)

 挫折と鬱屈を超えて

 「新潮社から出版の声がかかるとは思っていなかったので、びっくりしました。あと、親も喜ぶな、と」。12月上旬、梱包されたおびただしい数の本で埋まった小さな事務所の片隅で、島田さんはそう言って顔をほころばせた。

 執筆は主に喫茶店の喫煙ルーム。「そこで1日6本ぐらい吸いながら書いた。でも電車で移動するとき、隣の人は臭かったと思いますよ」。業務の傍ら、全ての思いを絞り出した執筆の2年間は充実した日々だった。

 島田さんが文芸書の復刊と自主編集を手がける出版社を立ち上げたのは平成21年9月、33歳のとき。ただ、それは必ずしも計画的な起業ではなかった。

 大学4年時に大学主催の小説コンクールで一等賞をとった島田さんはそれ以降、純文学作家を志望し、27歳まで無職だった。その後、教科書会社の営業などを経験したが長くは続かず、31歳で始めた転職活動は50社連続で不採用。20年春、高知在住で仲の良かった1歳上の従兄の事故死が精神的に追い打ちをかけた。

 鬱々とした日常生活の中で、心の支えとなったのが長年親しんできた読書であり、新たな世界を広げてくれる本屋の存在だった。「誰かの力になりたい。誰かを支えたい」と献身欲が途切れることもなかった。

 意識が収斂していった先にあったのは、従兄を失い悲しみに暮れる高知の叔父と叔母の心を支えること。その喪失感を少しでも癒やす本を出版することだった。10年続く「ひとり出版社」の仕事の原点だ。「夏葉社」という社名は、亡くなった従兄と高知で遊んだ夏の日々のイメージから名付けた。

200冊購入した母親

 「良いものを作れば、時間はかかるかもしれないが『売れる』というのが、10年やってみた実感。読者を少しでも低く見積もったり、『こういうのが欲しいんでしょ』という態度をとれば、売れない。そこに素人や玄人の区別はない」

 仕事への厳しい姿勢を学んだのは、「レンブラントの帽子」などで装丁を担当してもらったイラストレーターの和田誠さん(10月に83歳で死去)と、かつて市民大学で詩などを学んだ詩人の荒川洋治さんだ。「適当な仕事をしたら顔向けできない」

 復刊を含め10年間に出した本は35冊。年に3冊程度と多くはないが、約半分が重版となり、お笑い芸人で芥川賞作家の又吉直樹さんら読書好きの間で高い支持を受ける随筆集「昔日の客」(関口良雄著)は10刷に及ぶという。

 そんな中で、忘れられないのが現在9刷の詩「さよならのあとで」(ヘンリー・スコット・ホランド著)をめぐるエピソード。

 「この本は、メディアで大きく取り上げられたことはないが、2年前に、あるお母さんから200冊ほしいとメールが届いた。娘さんが中学1年のとき、体育の授業で心臓発作で亡くなり、その娘の同級生200人の卒業式で本を配りたい、と。作ってよかったな、と思った」

 この詩には、愛する人を失った人々の心の悲しみに寄り添う言葉がつづられているが、この本こそ、島田さんが高知の叔父と叔母の悲しみを軽くしたいがために作った本だった。

性急な社会に抗う

 出版不況が長引き、書店も街から次々と姿を消す中で、出版社をたたもうと思ったことはないのか。質問への返答に暗さはなかった。「やめようと思ったことはない。絶望したこともないし、現状が読書離れとも思っていない。若い人が本を読んでくれるし、ぼくみたいに本のマニアではない女性も読んでくれている」

 取材中、島田さんは古書が並ぶ棚から何冊かの本を手に取りながら「この紙、いいなー」と何度か口にした。「古本屋にいくと、本作りのヒントがある。これ、パクりたいな、って。(評論家の)小林秀雄の難解そうな本でも、装丁を工夫するだけで読んでみたくなる。それも本作りの魅力。自分が買いたい本、かっこいい本をつくりたいんですよ」

 <ぼくは具体的なだれかを思って、本を企画し、実際に紙の本をつくる。というか、それしかできない>本書でこう記す島田さんにとって「仕事の本質」とは何なのか。

 「もちろん経営指標もあるが、それが全てじゃない。ずっと思っていることは、誰かにとっての座右の書をつくること。その一人がめちゃくちゃ喜んでくれたら成功だと思う。(結果として)売り上げも付いてくる」

 今、懸念しているのは、インターネット社会の中で、世論が性急になり、寛容さを失いつつあることだ。

 「すぐにわかるものは、すぐに忘れる。でも、わからなかったり、うまく説明できなかったりすることのほうが記憶に残る。本の良いところは、考える時間、立ち止まる時間を与えてくれること。長い小説を読み終えると、その時間と内容が体の奥底に蓄積されていく。何の役に立つのかわからないが、(人生の)緩衝材になっているような…。本を読みながら、短い時間の中で生きる風潮に抗いたい」

 島田さんのような「ひとり出版社」が全国で増え始めているという。その動向は、空虚な言葉が飛び交うネット社会への反転攻勢の兆しに違いない。

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