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【書評】『名残の花』澤田瞳子著

 ■世の転変に抗い、生きる

 時は明治5年。

 かつて徳川時代に断行した苛烈な市中取り締まりのため、「江戸じゅうの人々から恐れられ、憎まれ、妖怪と謗(そし)られた」鳥居耀蔵こと胖庵(はんあん)老人。失脚改易の末、幽閉されていた二十余年の内に、徳川幕府は瓦解(がかい)し、江戸は「東京」となっていた。

 目の前でその変革を見たならまだしも、閉じ込められているうちに、世の中が変わってしまったのだ。江戸の名残に「別れを告げることすら許されなかった」胖庵は、切なさと戸惑い、納得しがたい憤懣(ふんまん)と、のみ込めぬ嘆かわしさを抱えて生きている。そんな折、16歳のひたむきな能役者、豊太郎と出会う。

 将軍の庇護(ひご)のもと、豪奢(ごうしゃ)な生活を謳歌(おうか)していた猿楽(能楽)を、胖庵は厳しく取り締まった過去がある。いわば、猿楽の者たちと胖庵は敵同士ともいえる間柄だった。が、庇護者を失い、日々食べるものにさえ困窮しつつも、芸の道を進む愚直な豊太郎の生き方は、世の転変に惑い、新しい時代に馴染もうとせずに抗(あらが)ってあがく、胖庵の生き方と重なる。

 そんな二人が、日常の中で出会う人々や事件を通し、少しずつ心を通わせていく本書は、6編からなる連作短編集だ。一話ずつ、猿楽の演目にあわせた主題が用意され、坂上田村麻呂や斎藤実盛らの人生も絡み、より長い年数の中で普遍性を探る、奥行きある構成となっている。

 それにしても明治期の鳥居耀蔵を一冊の本で描くなど、だれが考えるだろう。さらにそれを能楽師と絡めるなど、やや皮肉の利いた組み合わせと、あまりに意外な切り口に、正直、驚かされ感嘆した。読者はページをめくってすぐに、著者の新鮮な世界観に酩酊(めいてい)するだろう。

 胖庵は、自分や能役者たちを「明治と改まった世に取り残された負け犬」と称すが、卑下しているわけではない。どれほど世の中が変わろうと、時が過ぎようと、変わらぬものが人の世にはあるからだ。そして、「世がどのように改まろうとも、人は生きて行かねばならぬのだ」。

 現代もまた、変化や浮き沈みの多い時代。だれもが要領よく生きられるわけではない。不器用できまじめな胖庵や豊太郎は、今の世にもたくさんいるに違いない。(新潮社・1650円+税)

 評・秋山香乃(小説家)

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