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【中国観察】北京原人発見から90年 「消えた頭蓋骨」は今も不明

 1941年の暮れ、日中戦争の激化を受けて北京原人の化石を中国から持ち出し、米国内で一時保管することが決まった。米軍軍医の名前を記した2つの大きな箱に化石を詰め、北京から鉄道で河北省秦皇島の港に運び、そこから貨客船プレジデント・ハリソン号で米国へ向かう-という計画が立てられた。

 そして41年12月5日早朝、2つの箱は米海兵隊員とともに北京を出発した。8日午前には計画通り秦皇島に到着したが、北京原人の化石を乗せるはずの貨客船が港に来ることはなかった。

 おりしも12月7日(日本時間8日)、遠く離れた米ハワイ・オアフ島で真珠湾攻撃が起きたためだ。プレジデント・ハリソン号は上海付近の海域で日本軍が拿捕(だほ)。化石の護送任務に当たっていた米海兵隊員も日本軍の捕虜になった。そうした混乱の中で、北京原人の頭蓋骨などの化石は行方が分からなくなってしまったのだ。

■取り沙汰された仮説の数々

 戦後、中国では北京原人の化石捜索が行われた。移送前に化石が保管されていた北京協和医学院、米国施設跡地、日本、果ては周口店の化石発見地まで探したという。だが、ようとして行方は分からなかった。

 中国内外では「北京原人の頭蓋骨は実はここにあるのではないか」といった報道が数十年にわたり何度も繰り返された。いずれも発見には結びつかなかったが、これまでに取り沙汰された主な「仮説」には以下のようなものがある。

 ○化石の価値が分からない日本兵により捨てられた

 ○戦争による被害に巻き込まれて破壊された

 ○戦中に米軍により撃沈された日本の貨客船に財物などとともに積まれていた

 ○秦皇島か天津のどこかに今も隠されている

 ○北京市中心部の公園に密かに埋められた

 ○日本に運んで隠された。持ち主は東京帝国大学(現・東京大学)、元日本軍人…

 ○元米軍人の家族が保管している

 これらはほんの一部だが、納得感のあるものもあれば、小説のような出来過ぎたものもある。いずれも現時点では真偽不明だ。

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