PR

ライフ ライフ

【書評】『小林秀雄 最後の音楽会』杉本圭司著 精神の運動鮮やかに描く

『小林秀雄 最後の音楽会』杉本圭司著(新潮社)
『小林秀雄 最後の音楽会』杉本圭司著(新潮社)

 本書は「契りのストラディヴァリウス」「小林秀雄の『時』 或(あ)る冬の夜のモオツァルト」「ブラームスの勇気」の3編からなる。ここでは「契りのストラディヴァリウス」についてのみ語りたい。

 小林とバイオリンの縁は古く深い。中学生のときに父から海外土産にもらったバイオリンを習い始め、一高入学直前の大正10年、ミッシャ・エルマンが弾くストラディを聴いて驚嘆する。昭和12年、エルマン2度目の来日でストラディと再会するが、時代はバイオリンどころではなくなる。小林がストラディを聴くのは14年後、昭和26年のユーディ・メニューインの演奏会だった。直後、小林は新聞にこう書く。《あゝ、何という音だ。私は、どんなに渇えていたかをはっきり知った》。そして生涯の最後にメニューインのストラディを聴く。昭和57年12月28日夜、NHK教育テレビが放映した演奏会(同年11月17日、昭和女子大人見記念講堂)だ。病身の小林は自宅で聴き、約2カ月後に病院で亡くなる。本書の題はここに由来する。

 《本居宣長にとっての桜がそうであったように、小林秀雄は、ヴァイオリンという楽器と「契り」を結んだ人であった》と書く著者は、メニューインが「最後の音楽会」で奏でた3つのバイオリン・ソナタ(小林と因縁浅からぬベートーベン、バルトーク、フランクの作品)をよすがに、その人生と批評精神の形成を浮き彫りにしてゆく。

 学生時代の小林は、ボードレールの精緻な文学的観念の虜(とりこ)となったものの、ひどい息苦しさも感じていた。そこから小林を解放したのが、主観的なものに何の信も置かなかったランボーだった。ボードレールの「西洋近代のガチッとした観念」とランボーの「東洋の融通無碍の精神に通じる自然」。小林はこの2つの極の間で、もがきながら批評精神を形成していった。音楽においては、ピアノがボードレールであり、バイオリンがランボーだったのだ。

 音楽を軸に据えることで、小林の精神の運動が鮮やかに描かれ、同時に小林の批評自体が、作家の精神の運動をとらえようとするものであることがくっきりと提示される。これまでにない角度の精緻な労作である。

 評・桑原聡(文化部)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ