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【本郷和人の日本史ナナメ読み】戦国の小笠原氏(上) 信長は「歴史的人間」の一人だった

 信長が偉いとか偉くないとかいうのではありません。信長はそうした歴史的人間の一人だった。彼は社会の要請によく応えることができたからこそ、新しい時代の担い手になれたのだ、と考えます。

 源頼朝も同じ。鎌倉に居を定めて、関東の武士=在地領主層のニーズに丁寧に応えたからこそ、歴史的人間として名を残した。反対に木曽義仲は上洛を急ぎすぎた。北陸に腰を落ち着けて地力を養っていたら、平家を都から追い落とす名誉は逃しても、後白河上皇に政治的に敗北することはなかったかもしれない。

 足利尊氏の場合は、建武政権下において政治の舞台から疎外された在地領主層の不満の蓄積があり、彼らは尊氏の決起を待望していた。もし尊氏が旗揚げを躊躇(ちゅうちょ)したら、足利一門の誰か(たとえば弟の直義や一門の重鎮である斯波高経など)がそれに代わるか、あるいは佐竹・武田・小笠原などの源氏一門の誰かが武士を率いて新しい時代の担い手となったでしょう。

 ただし、そうした人よりも、足利尊氏が武士たちのリーダーとして適任であることは間違いがない。尊氏個人の意向はさておいて(彼が渋々立ち上がったか、それとも実はやる気満々だったかは歴史学では答えが出ませんので)、多くの在地領主の意志と動向こそが新しい時代を切り開き、室町幕府が京都で産声を上げた。このとき、源氏の名門である武田家は甲斐の守護に、小笠原は信濃守護に任命されました。

 両家はとりあえず守護大名として領国を形成し、やがて戦国大名へと成長していきます。そして武田家には信玄という傑物が現れた。信玄は父の信虎を追放して家督を継ぐと、すぐに信濃への侵略を開始。ほぼ10年で信濃を手中に収めました。さらに10年をかけて越後から攻勢をかける上杉謙信と川中島の戦いをくりひろげ、信濃支配を強固なものとします。

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