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戦国時代くぐり抜けた大田原氏3代 栃木・那須与一伝承館で企画展

大田原氏3代の実像に迫る企画展=栃木県大田原市南金丸の那須与一伝承館
大田原氏3代の実像に迫る企画展=栃木県大田原市南金丸の那須与一伝承館

 栃木県大田原市南金丸の那須与一伝承館で、企画展「大田原氏三代-資清(すけきよ)・綱清(つなきよ)・晴清(はるきよ)-」が開かれている。大田原氏の繁栄を築いた資清ら3代が、激動の戦国時代をどうくぐり抜けてきたのか、その実像に迫る。8日まで。

 甲冑や大田原氏3代の肖像画、古文書など66点が展示されている。このうち徳川家康、2代秀忠からの書状は兵庫県で発見されたもので、東日本では初めての公開。特に家康からの書状は関ケ原の戦い直前の慶長5(1600)年9月に3代晴清にあてられたもので那須地域の情報報告に対する返答。当時の大田原の動きを知る上で極めて貴重な資料といえる。

 大田原氏の出自は不明な点が多いが、武蔵国から下野国に移り、那須氏に仕えたという。勢力基盤の基礎を築いたのが資清で、「大俵」の姓を現在の「大田原」に改めたとされる。一度は那須を追われたが、20数年後に再び戻り、仇敵だった那須衆の大関氏の嫡男を殺害。長男の高増を跡継ぎにし、同じく那須衆の福原氏にも次男の資則を養子に送り込んだ。さらに那須家の当主に娘を嫁がせるなど権勢をふるった。

 また大田原城を築いたともいわれ、築城中に動員された農民が舞ったという踊りは「城鍬舞(しろくわまい)」(県指定無形民俗文化財)として受け継がれている。

 大田原宗家は3男の綱清が資清の築いた基盤を継承。綱清の嫡男、晴清は関ケ原の戦いの功績で1万2400石の大名となり初代大田原藩主になった。同藩は国替えもなく明治維新まで続いた。

 同館の重藤智彬(ともあき)主任学芸員は「戦国時代の大田原にスポットを当てたのは初めて。大田原氏の繁栄を築いた3代が歴史の中でどう行動したかなど、事績や動向などを垣間見てほしい」と話した。

 午前9時~午後5時。問い合わせは同館(0287・20・0220)。

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