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本田宗一郎が作った「神コース」 F1の聖地・鈴鹿

 「ここからあそこまで、自由に使ってください」

 ダイナミックな提案が宗一郎氏を喜ばせた。「鈴鹿市の迅速で実直な対応が評価され、建設が決まったと言われています」(菅谷部長)。

 実は当初の建設地域としては水田地域を予定していたのを宗一郎氏が変更させたという逸話も残る。

 「大切な米をつくる田んぼをつぶしてはいけない」

 その一言で、丘や谷を縫うようにコースが作られることになった。結果として多様なカーブと高低差が組み合わさった、ドライバーにとって“腕が試される”他に類をみないコースを完成させたのだ。

「モータースポーツ都市宣言」

 誘致から60年近くの時が流れた鈴鹿市。昭和62(1987)年からはF1世界選手権が開催されるようになり、その名は世界にとどろく。

 市は誘致時に宗一郎氏に見せたモータースポーツへの熱意を今もたぎらせている。サーキットは多くのファンだけでなく、関連企業も引き寄せてきたからだ。平成16年には「モータースポーツ都市宣言」を出し、街の活性化の中心にサーキットを据えている。

 しかし、平成19年、20年とF1日本GPが富士スピードウェイで開催され、再誘致運動のおかげもあって21年から再び鈴鹿で日本GPが開かれるようになったものの、モータースポーツ人気は低下。ピーク時の18年には約36万人を集客した日本GPの動員数が20万人を切るようになったことに、サーキットも市も危機感を募らせている。

 日本GPの開催31回目を迎えた今年は官民あげて「鈴鹿からモータースポーツの魅力を発信しよう」と国内最大規模のレーシングカーの公道パレードも行われた。宗一郎氏が残したレガシー(遺産)をどう伝え残していくのか。モータースポーツの聖地の努力はさらに加速している。

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