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【万葉集 最果ての歌 中西進さんと行く】勇猛なる民 隼人

隼人塚を訪れた中西進さん=鹿児島県霧島市(彦野公太朗撮影)
隼人塚を訪れた中西進さん=鹿児島県霧島市(彦野公太朗撮影)
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 □隼人(はやひと)の湍門(せと)の磐(いはほ)も年魚(あゆ)走る吉野の滝(たぎ)になほ及(し)かずけり 巻6-960

◆歌人将軍の胸の内

 急流と渦潮が壮大な景観を作り上げる鹿児島県北西部の海峡「黒之瀬戸」。この瀬戸を詠んだのは、長田王のほかに、元号令和の典拠となった「梅花の宴」を開いた大伴旅人がいる。

 《隼人(はやひと)の湍門(せと)の磐(いはほ)も年魚走(あゆはし)る吉野(よしの)の滝(たぎ)になほ及(し)かずけり》 巻6-960

 (隼人の瀬戸の岩石のすばらしさも、鮎の走りおよぐ吉野の急流にはやはり及ばないことだなあ)

 荒々しい南洋の瀬戸と、山中の吉野の滝と。「比較にならないものを取り合わせるのはなぜでしょうね」。中西さんは、旅人の心境に思いを及ばせる。

 養老4(720)年、朝廷に牙をむいた隼人の反乱を鎮める征隼人持節大将軍として、旅人は南九州に赴き野戦を続けた。大和から遠く離れた戦地。故郷に帰りたいと願う若い兵士たちもいたことだろう。「戦闘に明け暮れる部下たちの郷愁をくんだ労(ねぎら)いの歌だったかもしれない。武将の人間味が響いてくる気がします」

◆朝廷支配に屈せず

 古代南九州に居住した隼人。その名の由来は猛禽類(もうきんるい)の隼(はやぶさ)のイメージ、または敏捷性(びんしょうせい)に富んだ勇猛な性質など諸説ある。

 7世紀後半、隼人が朝貢し、朝廷で相撲を取ったとの記録が日本書紀にある。律令体制を進めていた朝廷は、畿内への移住政策なども用い、隼人をあの手この手で服従させようとしたが、手ごわい抵抗にあった。

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