PR

ライフ ライフ

【正論1月号】“蛆山”に眠る戦没者遺骨 収集は政府の義務だ ジャーナリスト 長谷川学

 「日本兵が鬼神のように戦った山がある。大勢の日本兵が死に、大量の蛆が湧いた。地元では『ラウタン』と呼び、だれも畏れて近づかない」

 長老はそう話した。「ラウ」はミャンマー語で蛆、「タン」は山の意味だ。

 我妻氏によると、蛆山があるのは、インドとの国境に近いミャンマー北部のカチン州フーコン。フーコンはインド・ミャンマー国境にまたがるパトカイ山系、ワンタク山系などの山々に囲まれた渓谷である。「フーコン谷地」とも呼ばれ、大小の河川が縦横に走り、樹木が密生、倒木や蔓草などが交錯する難所だ。

 谷地というと、日本では山に囲まれた狭い渓谷のイメージがあるが、フーコン谷地は広大で、長野県ほどの広さがある。

 「フーコンは、ミャンマー語で“死の谷”を意味します。雨期には間断なく豪雨が降り注ぎ、一帯は泥地と化す。古くから悪疫瘴癘の地として恐れられていて、マラリア、赤痢、チフス、コレラ、ペストなどが流行。虎や豹、大量のマラリア蚊、野象、ニシキヘビ、山ヒルなども出没し、カチン州の人々からも『一度入ったら生きて出られない』と恐れられてきました」(我妻氏)

 後で触れる筑紫峠をはじめ、戦時中のフーコン谷地は、まさに“死の谷”だった。

 軍人だけではなく、民間人も大勢亡くなった。日本軍による全ビルマ制圧時、約三万人の避難民が連合軍の敗残兵に従いフーコン谷地に殺到した。インドを目指した彼らは、折からの雨期にたたられ、約七千人が疫病と疲労により死亡した。

 このフーコン谷地で、日本軍は一九四三年十月から八カ月間、食料と武器弾薬の補給を絶たれる中、米英インド・蒋介石軍と戦い、「フーコン作戦」という壮絶な戦いを繰り広げた。

 軍事史学会理事でフーコン作戦に詳しい和泉洋一郎氏(元陸上自衛隊幹部学校戦史教官)が語る。

 「連合軍の兵力はフーコンを守備する第十八師団の少なくとも四倍はありました。フーコン谷地は広いところだと東西で八十キロもあります。通常、一個師団が守れるのは十キロ程度。その広大な地域を敵の四分の一の兵力で守ることになったのです」

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ