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危うい自民幹部の「女系」容認論 先人たちの知恵に学べ

 和子中宮は2男5女をもうけたものの、2人の皇子は夭逝(ようせい)し、一系をつなぐ世継ぎには恵まれなかった。その間、幕府のやり方に不信を極めた後水尾天皇は突然譲位し、1629年、皇女の興子(おきこ)内親王が即位する。実に859年ぶりの女帝、明正天皇である。

 ここに、天皇の外戚になろうとした家康や秀忠の願いは実現する。だが、徳川家は喜ばなかった。明正天皇の子供は母系なので天皇になれず、天皇家に徳川家の血を残せないからだ。

 もしも、幕府の強大な権力により徳川家の有力者を明正天皇と結ばせ、その子を天皇にしたらどうなったか。父系をたどれば神武天皇につながる1本の線が切れ、家康直系の“徳川天皇”と認識されるだろう。

 むろん、そんな事態にはならなかった。昔の為政者たちはみんな、皇位継承のあり方について「よく理解して」いたからだ。

 明正天皇は生涯独身で、後水尾上皇の側室が産んだ紹仁親王(後光明天皇)に譲位する。歴代天皇には10代8人の女帝がいるが、父系の皇族が配偶者でない限り生涯独身を貫き、一系は守られている。

揺るぎない正統性の継承を

 一系であることがなぜ大切なのか、最後にそれを考えてみたい。

 令和元年は皇紀2679年だ。その間、居住面積が狭小な島国で暮らしてきたわれわれ日本人は、先祖をたどれば必ず、どこかで天皇家の血と混ざり合っている-と考えるのが自然だろう。いわば天皇家は、本家中の本家であって、われわれは分家か、分家の分家か、分家の分家の分家みたいな関係だ。それを日本人は無意識のうちに受け入れてきた。大多数の国民は自分のルーツである本家を大切にしようと思うし、本家が決めたことには従おうという気持ちにもなる。

 ここが肝心だ。天皇家が一系であり、揺るぎなく正統であるがゆえに、この関係が成り立つからだ。

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