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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第4章 現代に生き続ける「楠公さん」 6

 滝覚は、俗名を和田朝正(ともまさ)という。鎌倉幕府の初代侍所(さむらいどころ)別当(長官)を務めた和田義盛の曽孫とされる。地元の寺で修行した後、京に上り、故郷にちなんだのか、滝覚と名乗った。京で観心寺中院の院主と知り合い、正安(しょうあん)2(1300)年に中院へ。2年後に院主となった。そのころに正成が寄寓(きぐう)していた。

 『-瀧覚御房史蹟』は、滝覚の正成に対する師弟愛を記す。

 ▽赤坂城で挙兵した際、正成の妻子を預かるとともに軍事的な秘策も授ける。

 ▽千早籠城戦では食糧を支援。また住民と協力して傷病兵の手当てをする。

 ▽湊川への出陣が決まった正成の求めに応じ上京、後事を託される。その後、弟子を遣わし戦場の様子を探らせる。

 ▽正成戦没後は久子夫人を助けて一族を扶養。嫡子(ちゃくし)・正行(まさつら)らの後見役に。

 楠木一族を物心両面から支え続けた滝覚は、延元2・建武4(1337)年、73歳で入寂(にゅうじゃく)したと伝わる。湊川の戦いの翌年である。

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